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LADY




「アインナッシュを始末したのはお前達ではないな?」

 アインナッシュが「死んで」、ここに戻ってきてから一刻程して、弓と王冠はナルバレックに呼び出された。もう少し休ませてくれてもいいのに…、と内心思いながらも、目の前の相手がそんな、人を気遣う感情なんかを持ち合わせてるはずはないことは、百も承知。仕方が無いと諦める。

 それにしても…、第一声からそれか。ねぎらう言葉など期待もしていないが、いきなり本題を切り出されるとは。
私は口を閉じたままだ。メレムもそれに併せて何も言わないでくれる。

「お前達があれを『殺す』ことなどできまい。恐らく他者の介入があったはずだ。魔術師の連中でもないとは思うが…」

 その言葉はおかしい。…けれどここではおかしくない。私や騎士団は、アインナッシュの「討伐」を命じられてあそこに向かったのだ。その相手に対して「お前達では殺せない」とは…。

 つまりそういうことだ。あそこに派遣されたものは皆、アインナッシュの活動期がくると協会が決まって送り出す、「世間体を守る生贄」だ。

 それにしても相変わらずこの部屋は暗い。局長の趣味なのかもしれないが、電気一つおかず、あるのは小さなランプのみ。もとより日の光など届かぬここでは、そのランプの放つ明りが全てである。分かってはいることだが、改めて目の前の人間は変人だと思う。

「まあ…、誰が始末したなんていう話は、気にしなくてもいいのかもしれんがな。我々は、結果としてこの世界から死徒を排除できればそれでいい」

 その通り。私達は、「自らの手で」、というとこにはあまりこだわらない。
ようは、対象を殲滅できればそれでいい。私も、あれだけ自分と因縁のあった「ロア」を前にしても、自分手での始末より、まずは彼女と彼を噛ませ犬にすることを選んだ。

 我々にとって、過程は無意味だ。結果が出ればそれでいい。だから、「死徒の消滅を確認」。この報告さえすませてしまえば、本来任務から戻った後はしばらく休める。

 それが…、今回に限って違うのはなぜか…。


    知っているのだ…。


 性格が悪いことぐらいは分かっているが、今回ほど腹が立ったことも無い。

「しかし、ここ一年半は、いくら何でも不可解なことが起こりすぎる。第十位「混沌」ネロ=カオス。番外「アカシャの蛇」ミハイル=ロア=バルダムヨォン。つい先日の第十三位「祟り」ワラキアの夜。そして今回の、「腑界林」アインナッシュ。 その力はまだしも…「存在すること」あるいは、「永遠に近い者」から考えれば、他の上位の上を行くような、特殊なものばかりだ。原始の海とさえ言われた「混沌」。現象とまでなった「祟り」。転生無限者「アカシャの蛇」。そして我々が800年も放置してきた「腑界林」。

 そうだ…。そんなものを殺せる、滅ぼせる者なんて、世界にそうそういるものか。

「死徒27祖と呼ばれ、太古から存在しつづけてきたそれが、ここ1年半でいきなり4体も『消滅』する理由は何だ? 真祖の姫が関わっているのは知っている。それにしたっておかしいだろう。真祖は幾度と無くロアを『殺し』ながらも、『消滅』はさせられなかった。『混沌』ほどの存在力を持つものを、『消滅』させることは、さしもの真祖の姫君とはいえ容易ことではないだろう」

 何が言いたいかはわかっている。私はこの一年半隠しつづけて来た。これは本来極刑は免れない程の重罪だ。けれどそんなことは怖くない…。怖いのは、彼の元に誰かの手が伸びてしまうこと。

「シエル。この四つの事件全てにお前は関わっている。今回のこと以外は全て、『真祖の姫の所為』と報告してきたな。それではお前にいいことを教えてやろう。真祖は一人の人間を魅了したようだぞ」

 ドクン…と、心臓が高く鳴った。

「信じられない話だが、伝説でしかないと思われていた『直視の魔眼』を持つ少年だそうだ」

 その瞬間、足元から世界が瓦解していくような感覚にとらわれた。
それでも何とか立っていられたのは、横でメレムが手を強く握ってくれたからに他ならない。

「以上だ。恐らくは、その「真祖の騎士」が今回の件にも関わっていたのだろう。まあ、我々には関係ないことだ。我々は、この世から死徒が減ってくれるなら、それはそれで歓迎するべきだからな。戻っていいぞ」

 私は無言のまま、彼女に背を向ける。そこまで分かっていて、なぜ局長は私に何も問わない…。

 ガチャリ

扉をあければそこにはいくつもの灯り。あの薄暗い部屋から考えればまぶしすぎるくらいだ。

 そのせいだろうか。私の視界は全く安定してくれない。



 ああ、早くどこかで「倒れて」しまいたい。





 「結局何がしたかったんだい?」

 メレムはナルバレックに尋ねる。

「動揺するあいつが見たかっただけだ」

 そういってナルバレックは口の端を吊り上げる。その表情が下品に見えないのは、彼女の持つ気品ゆえだろうか。

「それよりも、どうして分かったんだい? 『直死の魔眼』を持つものの仕業だって。いくらシエルが何かを隠してると分かっていて、真祖に『僕』がいると分かっていたとしても、あんな伝説上の代物に、そうそう直結しないだろ?」

メレムが知っていたのはアルクェイド本人から聞いたからである。

 教会や協会の人間が、遠野志貴が魔眼を行使している現場を見たことはないはずだ。

 シエルを除いては…。

「シエルに暗示を教えたのは誰か知らないか?」

 そういって希代の催眠術師は声を漏らして笑う。

「鬼だね…」

「いまさら気づいたのか?」

「いや…、会ったその日から知ってるけどさ。それでも…、それでシエルをどうこうするつもりはないんだろ? それならそれで別にいいさ」

「ああ。私はただ楽しんでいるだけだよ」

 やっぱり鬼だ、とメレムは再確認した後、

「それでは、局長。失礼する。腑界林アインナッシュは『消滅』した。今回はそれでいいだろう」

 彼は左腕に任せ、薄暗い部屋を後にした。

「ああ、それでいいとも」

 閉められたドアに向けてそう呟き、ナルバレックはこの部屋唯一のランプの火を吹き消した。






「や、おはよう」

 目を覚ますと部屋にはメレムがいた。

 彼が部屋に来たことに気づかないとは…。それほど精神的にまいっていたのか。

 それとも…、単に私が「鈍感」だと言うだけだろうか。

「おはようございます…、メレム」

 私はベッドから身を起こす。

「何か食べるかい? ずっと食事をとってないんでしょ?」

 メレムは気を使ってくれる。けれど…。

「いえ、構いません。食欲、ありませんから」

 数日食事をしてない者の台詞とは思えないが…、別に嘘ではない。

「あんまり気にしなくてもいいんじゃない?」

 私はとりあえず、二人分の日本茶の準備を始める。メレムは最初好まなかったが、何度も飲んでいるうちに、日本茶も好きになったらしい。

「ナルバレックに彼が「直死の魔眼」を持っていると知られた。それだけのことさ」

 お湯を沸かしながらその意味を考える。なぜ、組織の「局長」のところにその話が行ったのに、知っているのはその局長だけだと言うのだろう。

 時刻は夕方5時。どうやら6時間ほど眠っていたらしい。

 お茶を淹れて、テーブルの上に置く。

「ありがとう」

 メレムはちびりちびりとそれを飲み始める。

 死徒であるというのに、その格好相応に、猫舌というのだから面白い。

 久しぶりに飲むお茶はおいしかった。

「しかし、局長が何も言わないとしても、他の者が…」

 言いかけて私はようやく気づく。

 自分がどれだけの道化を演じていたかと言うことに。

「そのまま道化を演じていたほうがいいさ。シエルが気づかないふりをすれば、結局何も変わっちゃいないんだから」

「そうですね…」

 肩の荷が下りたというのに、なんだかどっと疲れてしまった。

 結局あの人はいつものように私をからかっただけだ。

「はぁ、安心したらお腹空いてきちゃいましたね」

 グゥゥ

 そんなことを言うと同時にお腹が鳴ってしまう。

「あはは。そのほうがシエルらしいよ」

「どういう意味ですかそれ!!」

 メレムにつっかかりながらも、私は少しだけ、「ここ」に戻ったことをよかったと思った。

 なんだかんだ、こんな所にも私を気遣ってくれる人はいるらしい。

 最も、ただおもちゃにされてるだけって話もあるけれど。





 ある日、とある魔術師が私のもとを尋ねてきた。

 この世界にいるものならば誰でも知っている、フォルテという女魔術師。

 封印指定の魔術師の保護など、血なまぐさいことを得意とする、魔術師としては特殊なタイプである。

 大体にして、協会の人間が教会を、それも教会の闇の部分とされる埋葬機関を訪ねるなど、前代未聞の話である。

 彼女は、一体なんといってここに来たのかはわからないが、結局局長の許可が下りたらしく、私はこうして彼女と客室にて応対することになった。

「それで、用件はなんでしょうか? 魔術師フォルテ殿」

 魔術師がやってきたというのに、一人で応対させるはずがない。監視役として、メレムが同席していた。

 しかし、何故わざわざ「王冠」の名を持つ、第五位の彼を監視役などにするのだろう。ただの監視役ならば、もっと下っ端にさせてもよさそうなものだ。

 このあたりに局長の陰謀を感じずにはいられない。

「今日こうしてここに来たのは他でもない。とあるサンプルを封印したい」

 臆面もなく彼女はそういった。

「それは、我々埋葬機関の仕事とは大きくかけ離れています。申し訳ありませんが、お引取りを」

「まあ、話を聞いて欲しい。あなた方二人はあの腑界林アインナッシュから生還された方であろう? その者を呼んで欲しいと頼んだからな」

 局長は、何を思ってこの席を設けたのだろうか。

「はい、確かにそうですが…。それが何か?」

「私が封印したいのは、その腑界林を滅ぼしたもの。伝説の「直死の魔眼」の保持者だ」

 顔がこわばるのが自分でも分かった。

「それで…、我々に何をしろと?」

「まあ、聞いて欲しい。そのものの寿命がもう長くないのだ」

……。

 時が止まった気がした。遠野君が無理に力を使っていたのは知っていた。けれど…。

「伝説上の『直死の魔眼』だ。しかもどうやらそのものが、真祖のもとで『混沌』や『アカシャの蛇』を滅ぼしたらしい。埋葬機関といえど、そうそう死徒27祖は滅ぼせまい。事実、何百年と続く教会があるのに、いまだに死徒27祖は半数以上残っている。この、死徒27祖すら滅ぼせるモノを、このまま失わせてしまうのはあまりにも惜しい。貴公らは殲滅促進のため、我々は研究のためにこれを『保護』したい。しかし,対象は常に真祖といる。これでは容易には保護できまい。しかし、どうやら今週中に、『対象』が死徒の殲滅に向かうことが分かった。その期に、対象を保護したい。貴公らは『仕事通り』その死徒を滅ぼしてくれればよい。後は、真祖が介入してきたときの足止めだ。後のことは、こちらでなんとでもする」

「真祖をそうそうとめられるとお思いですか?」

「だからこそ、騎士団でなく、こうして危険を覚悟して「埋葬機関」を訪れたのだ。埋葬機関には固有結界を持つものがいると聞く。真っ向から戦う必要はない。足止めがあればそれでいいのだ」

 メレムは眼を閉じて黙っている。

 彼は納得しているのだろうか。これは、「彼女」を騙す話の誘いだ。

「二つ尋ねます」

 私は目の前の毅然とした魔術師を見てそういった。

「答えられる範囲ならば答えよう」

「まず第一に何故、その、「対象」の死期が近いことがわかるのですか?」

 対象と呼んでしまう自分に自己嫌悪を抱く。けれど、本名で呼ぶわけにもいかない。

「答えは簡単だ。私はその対象に腑界林の中で会っている。そして、私は『既死の魔眼』の保持者だ」

「『既死の魔眼』…。既に死んだものを捕らえる眼ですか」

「そもそも、相手が『直死の魔眼』の保持者であったのが分かったのも、この魔眼のおかげでね」

 そう、それは私も疑問だった。この魔術師は、どうして遠野君が「直死の魔眼」を持っていると分かったのか。

「『あれ』は…今まで見たどんなものと違っていた。死を纏い、死を内包し、体のあらゆる部分は死んでいた。死期が近いことは一目でわかったし、眼が『死』そのものを表していた。私はあのような魔眼を知らない。いろいろな可能性を探った結果、あれは直死の魔眼と断定した。腑界林ほどのものが、そのとき消滅したのも裏づけの一つだ。それに、魔術師の間でも噂になりつつあった。『直死の魔眼』が実存する、とな」

 魔術師は、少し熱くなっているように見えた。なるほど…、噂の魔術師は、恐らく遠野君に腑界林で負けたのだろう。

「なるほど、つまりあなたの私怨に力を貸せと」

 途端、表情の無かった魔術師は、その表情をさらに殺した。

「そうとってもらっても構わない」

 感情のない声で魔術師は答える。

「それでは次の質問です」

「それをしたとして、我々に本当に利益があるのでしょうか? 我々は死徒の殲滅を目的とする機関。彼を保護することが必ずしも利益になるとは思いません」

 何故だろうか、メレムが少しこちらを見た気がした。

「なるほど、貴公も「対象」に関係があると見えるな、『弓』殿」

 言われてようやく気づく・・・。「彼」。私達は対象にたいしてそんな言葉は用いない。

 それに、この魔術師は私の言葉の微妙な変化に、最初から気づいている節があった。

「まあいい。利益はあがる。その魔眼を「概念武装」として用いることも可能かもしれないし、年月をかければ、魔眼の解明も出来よう。それによって新たな魔術を実現できるかもしれん。さすれば死徒狩には良き影響が及ぶは道理であろう」

 彼女の言っていることは正論だった。私は何故か悔しくて唇を噛む。

「それともう一つ。これは別件だが、弓のシエル殿。あなたにロンドンの封印室の管理を頼みたい」

 メレムが眼を開いて彼女を見た。

「それは…、どういうことですか?」

「適任者が今協会にいない。魔術を扱えて、ある程度戦闘能力に長ける者。加えて、研究にあまり興味の無いもの。多くの魔術師は、自分の研究が大切だ。そんな雑務を引き受けるようなものはいない。それこそ、ある程度以上の実力のものならなおさらだ」

「それは…、ここが「教会」の埋葬機関と知っての発言ですか?」

「ここの局長には話はもう通した。なかなかに話せる方で助かったよ。貴公が承諾さえすれば、友好の一つの形として送り出してもよいという話だ。ここは教会でも特別な場所だろう。君らは死徒を殲滅できる可能性が高まればそれでよい。違うかね?」

 あの人は…。

 分かっている。これは「不死」でなくなった足手まといの後始末だ…。

「私も、それだけの覚悟で動いているということだ」

 急に魔術師の声色が変わった。

「私は後のことは知らない。あの者と再び合間見え、私が勝利すればそれでいい。だから、貴公が封印室の管理者になって、危険性を主張して、直死の魔眼を守ることも出来る。毎日対象を眺めることも出来るぞ」

 この話はすべて私怨と、そして私欲で動いている。魔術師はそう言いきった。

「このままいけば、対象は3日もせずに死ぬだけだ。真祖の姫のモノとして、真祖の姫に見取られて、最後まで真祖の姫のために戦ってな」

 一体…、この魔術師はどこまで知っているというのだろう。

 メレムが突然席を立った。

「話はそれだけのようで。私は所用を思い出したので失礼させていただく」

そういって、出ていってしまった。そりゃ、彼は気分がいいはずがない。彼はアルクェイドのことを…。

「それでは、今日は私もこれで失礼する。いい返事を期待している」

 そういって魔術師は客室を後にした。

 私はしばらく呆然としていた。

 頭は一つのことでいっぱいだ。他のことなど正直二の次だった。



 遠野君が死ぬ



 本当にそれだけしか考えられなかった。

 そして…



「このままいけば、対象は3日もせずに死ぬだけだ。真祖の姫のモノとして、真祖の姫に見取られて、最後まで真祖の姫のために戦ってな」

 頭から離れないその言葉。私は…。



 ガチャリ

 扉をあけて局長が入ってくる。

「どうする、シエル? この判断はお前に任せよう」

 分かっている。この人は楽しんでいるだけだ。だから、きっとどんな結論を出しても、私を責めない。

 どんな結論を出しても私が後悔するのを知っていて、それを楽しんでいるだけだ。

「私は……」






 結局…、あっさりと「直死の魔眼」は封印されてしまった。

 そして私は約束通り、ここロンドンにいる。

「時」を止められ、封印された彼を見る。

 この虚しさは何だろうか…。彼から最後の望みすら奪って、ここにこうして彼を張り付けることに、一体何の意味があったというのだろう。

 コトリ

 後ろで足音がした。…ここは誰一人勝手に入ってこれる場所ではないはずだけれど。

 振り返る。

 そしてそこには…、そこには、信じられない者が立っていた。

「久しぶりね、シエル」

 幾度となく聞いた、因縁深きその声。

「ア…、アルクェイド」

 そこには、騎士を奪われた、一人の姫が立っていた。

 彼女は無言で私に歩み寄る。私は構えることすら忘れて呆然としてしまう。

 けれど…、どうやらそれは誤解であったらしい。

 彼女は私ではなく、「彼」に歩み寄ったのだ。

「アルクェイド…」

 なんと言っていいかわからない。ここで八つ裂きにされても文句は言えない。

 いや、私はあるいはそれを望んでさえいるのかもしれなかった。

「ごめんね、シエル」

   こちらを向かずに彼女は言う。

「え…?」

 呆けた声を出してしまう。

 何故…、彼女が謝るのだろう。

「私ね…、全部知ってたんだ。メレムから全部聞いてた。知ってて志貴を一人にしたんだ。貴方達に、封印してもらうために…」

 もう何が何やらわからない。どうしてアルクェイドが謝るのだろう。どうして彼女はここにいるのだろう。どうして彼女は…、



 私と同じような、鏡を見るかのような、後悔を押し隠すような顔をしているのだろうか。



「志貴は…、あの日死ぬはずだった。もう体の崩壊は止められなかった。それで、最後にもう一体、死徒と会うはずだった。私のために。私は…、止めたかった。死んでほしくなかった。志貴に傍にいてほしかった。分かっていた。志貴を見て長くないことぐらい分かっていた! 志貴とともに過ごせる時間が、そう長くないものだと分かっていた!! それでも!!」

 そこにいるのは…、一人の女性だった。吸血鬼でも、真祖でも、「姫」でもなんでもない。ただの、男にイカレた女…。

「それでも志貴を失いたくなかった…。でも、志貴を死徒にするのはもっと嫌だった。志貴が血を吸うのは嫌だった。志貴の血を吸うのも嫌だった…。それでも…、彼を死なせなくなかった」

 真祖というものも、涙を零すものなのだと、私はそのとき始めて知った。

何故だろう。そのとき吸血鬼に対する嫌悪が、一気に薄まった気がした。

「だから志貴を封印させたの…。貴方達に。私は…、結局あなた達に一番イヤな役を押しつけたただけなのよ…」

 感情というものが、吸血衝動を早めるなら、彼女がそれに耐えられるはずはなかった。今の彼女は、私が初めて会った頃とはまるで別物の、まさに感情の塊だった。だからこそ、遠野君はあの日、アインナッシュの実をとりに来たのだろう。そして、それが結果として遠野君の死期を、さらに早めたことになる。



 なんて――――――――皮肉




 …今度は、私が話す番だった。

「私はいつでも嫉妬してました。どうして、遠野君にはあなたしか見えないんだろうって」

 アルクェイドと、こんなに近くで話すのは、思えば初めてかもしれない。

 今までは、話すとしても必ず互いの間合いの外だった。

今、彼女がその気になれば、私は抵抗する間も無く殺される。けれど、彼女はそんなことは絶対にしない。その必要もない…。

「遠野君がもうすぐ死ぬって聞いて、すごい戸惑いました。けれど、私には何も出来ない。彼を救うことも、きっと、最後の瞬間彼の横にいることすら出来ない。そして、最後の瞬間、遠野君の横にいるのがあなただと考えた時、私は…」

 自分の頬が濡れているのがわかる。ああ、泣いたのなんて何年ぶりだろう。遠野君とあったあの街で、彼が私を選んでくれて、その場所で、彼の傍で嬉しくて泣けていたらなあ、なんてふと考えてしまう。彼を自分の都合でこんなところに張り付けておきながら、そんなことを…。

「あのさ、シエル」

 嫉妬したくなるぐらい、綺麗な女性が、涙を流しながら私の名前を呼ぶ。

「あなたと知り合って結構たつけど、今日初めて本当に「解った」ことがあるわ」

 彼女は私の肩に手を置いて、言った…。

「私達…、同じ女だったのね」



 他に誰もいない廊下。

封印された「魔眼保持者」の前で、

 吸血鬼と元エクソシストが抱き合って泣く。

「死を統べる眼」を持つものの前で、

 一度殺したものと殺されたものが抱き合って泣く。

 バカがつくほどお人よしで、朴念仁で、甲斐性無しの男の前で・・・

 二人の女が、ただただ泣いていた。





 それから魔術師教会で、「直死の魔眼」が研究されたという話はない。

 封印室の管理人が、「封印を解くのは危険だ」、と言い張って聞かないこと。

 それでも「直死の魔眼」に触れようとしたものは、何故か謎の変死を遂げたという。

 しばらくすると、もう「直死の魔眼」に関わろうとするものはいなくなった。





「や、シエル」

 アルクェイドが尋ねてきたらしい。私は本を閉じて彼女に向き直る。

「ノックぐらいして入ってきたらどうなんです?」

 苦笑しながら私は言う。

「まあ、お忍びで来てるわけだしさ。それより、早く志貴に会わせてよ」

「分かりました」

 苦笑してうなずき、私達はそこへ向かう。

 閑散としたその巨大すぎる、封印室で、その前にだけ二つの椅子が並べてある。

「こんなことばれたら、本当私首切られちゃいますよ」

 それは世間でいう解雇という意味ではない。

「まあ、いいじゃないの。難しいことは考えないでもさ」

 そういってアルクェイドは椅子に座る。

「私さ…、後悔してない」

 アルクェイドは不意にそんなことを言った。

「そりゃ、志貴には悪かったかもしれないけど…。私はこうして今もまだ志貴を見れることが嬉し い。たとえそれが自己満足だとしても」

「遠野君は、きっと本望ですよ。アルクェイドのためになることが彼の望み。それなら、死徒との戦いで死ぬよりも、こうしてあなたと永遠を過ごすほうが嬉しいに決まってます。まあこれも、私の罪を許すための言い訳かもしれませんけどね」

 そういって苦笑する。

「志貴はさ、シエルのことも確かに好きだったよ」

「え…?」

 それは初めて聞く話だった。

「私といるときでも、たまにあなたの話とか出てきた。志貴が、シエルや、それに妹のことなんかも好きなのは、よくわかった」

 そう…だったんだ。

どうしてだろう…。ただ彼が私のことを好きでいてくれた。それだけで涙があふれてくる。

「私は志貴が誰を好きでも構わなかったわ。私のことを一番好きでいてくれれば」

「そう…、ですね」

 涙を拭きながら私は言う。

「私も、たとえ一番じゃなくても、遠野君が私を好きでいてくれることに満足できていれば…、もう少し違った形になっていたかもしれません」

 アルクェイドがハンカチを渡してくれる。

「泣くなシエル」

 そういって彼女は笑う。

 ああ…、私は彼女には勝てない。私みたいな凡人が、こんな綺麗な人にどうして勝てるだろう。

 もっとそのことに早く気づいていれば…、結果はまた違ったかもしれないのに…。

 コトリ

 不意の足音に振り返る。

「フォルテ…、さん?」

 そこには「直死の魔眼」を封印した張本人。魔術師フォルテがいた。

「全く…。つまらないこと限りなかった」

 いきなりそんなことを言い出した。

「一体何がつまらないって言うのよ!」

 アルクェイドが激昂して叫ぶ。

「この者との一戦だ。いや、あれはもはや『一戦』と呼べる代物ではない」

「どういう、意味ですか?」

「このものは拒まなかったのだよ。封印されることを。戦おうとしなかった。そこに真祖がいないこと、そこに騎士団がいることを見るなり、抵抗を全くせずに封印された…。あれほどつまらなかったことはない。今日もその恨み言を言いに来た」

 拒まなかった…?

「そうそう、真祖の姫宛にその者から言伝を頼まれた。今まで見えることがなかったので言えなかったが、今ここで伝えるとしよう」



「お前がそれを望むなら、それが俺の望みだ」




「それでは私はこれで失礼しよう。管理者、あまりハメをはずさぬようにな」

 そうとだけいって彼女は去る。

 残されたのは呆けた二人の女。

「全部…、知ってたの? 志貴」

 そういってアルクェイドは遠野君を見る。

 何故だろう。そこにいる彼は、今は笑って見えた。

 ああ、もっと早く気づけばよかった。

 私は生まれながらの道化だってことに。

 生まれたときから吸血鬼に寄生されてたんだ。よくよく考えれば、私が普通であるはずがない。

 私は誰かを得られない。それならもっと早く気づくべきだった。手に入るモノの中で、幸せを探すべきだったと。

「アルクェイド、泣かないでください」

 そういって私は先ほど手渡されたハンカチで、彼女の涙を拭く。



 私の大好きな人は、望みの通りの最後を迎えた。

 そして私はそれを見守ることが出来る。



 ああ、本当にどうして今まで気づかなかったんだろう。



 私は、今こんなにも幸せであることに…。




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