<< 戻る

Reason



「ただいま」

「ただいま戻りました」

 結局、七夜の森、あの向日葵の咲き誇る場所で琥珀さんと再会して、向こうで1
週間過ごした後俺達は一緒に屋敷に戻ってきた。この時点で有彦と旅行に行ってい
たというのは完全に嘘であると言っているようなものなのだが、最初からばれてた
感じだし琥珀さんとまた一緒に暮らせるというのだから、俺はそこで秋葉と翡翠に
苛められようと耐える覚悟を決めた。

「おかえりなさい、兄さん、琥珀。随分と奇遇ですね。一緒に帰ってくるなんて。
帰りの電車で一緒にでもなったのかしら?」

「秋葉さま。それはいくらなんでも奇遇すぎるというものではないでしょうか? 
姉さんと志貴さまは、きっと昨日はもう一緒にいたのかと」

 帰ってくるなりネチネチと二人は攻撃してくる。ううっ、負けるな! 俺は耐え
ると決めたんだ。

「秋葉さま、翡翠ちゃん。志貴さんを苛めないであげてくださいな。ええと、それ
ではそういうわけで、またここでお世話になります、秋葉さま」

 言って琥珀さんはペコリと頭を下げる。

「待ってたわよ、琥珀。それじゃあ帰ってきたばかりで悪いけど昼食を用意してく
れるかしら。別に雇っていたシェフは、昨日解雇したから。久しぶりに琥珀の料理
が食べたいわ」

「はい、それでは早速用意させていただきますね」

 そう言って琥珀さんは部屋へと消えていく。

「荷物のほうは送られてくるみたいだから」

「へぇ、随分と詳しいんですね、兄さん」

 こいつは・・・。

「もういいだろう。わかった! わかりました! 琥珀さんのところに行ってまし
た! これでいいのか? 全く・・・、趣味の悪い」

 翡翠は俺が下ろした荷物を手に持った。

「それでは、私はこちらの片づけをさせていただきます。志貴さまはお疲れでしょ
うから、しばらくお部屋でお休みになられてはいかがでしょう?」

「わかった、そうするよ」

 そう言って俺は階段に向かう。その途中部屋から出てくる琥珀さんの姿が見えた。

「それでは、急いで昼食の準備を済ませちゃいますね!」

 割烹着・・・。なんというか、帰ってきた。戻ってきた。
 俺の家が、この手に・・・。
 ちょっとした服装の違いだけど、俺はそんなことを思いながら嬉しくて、子供の
ように階段を駆け上がってしまった。



 夜、秋葉の提案で月見をすることになった。
 少しの酒と、沢山の団子。そして何より、秋葉、翡翠…、琥珀さん。

「さ、志貴さんどうぞー」

「あ、すいません。頂きます」

 おちょこというのもいいかもしれない。
 結構飲んでる気がするのだが、量はたいしたことがないのか酔ったという感じは
しない。

「翡翠は飲まないのかい?」

「ええ、屋外ですから。ここで倒れるわけにはまいりません」

「そうしたら別に運んであげてもいいんだけどね」

 翡翠だけシラフというのも面白くない、というのもあるのだが。

「いえ、志貴さまにそのような…。お気持ちだけで充分です」

「全く、兄さんは琥珀だけじゃ飽き足らず翡翠にまで手をだそうっていうんですか?」

 秋葉がとんでもないことをいう。

「誤解を招くような言い方はやめろよ。別に秋葉が倒れたって運んでやるぞ? 家
族なんだから、当然だろ」

 しばし沈黙。
 はて、俺は何か変なことを言っただろうか?

「ま、まあいいです。さあ、兄さん飲み方がたりませんよ」

 言って空になったばかりのおちょこにあふれんばかりに秋葉は酒をつぐ。

「あのなあ、俺を酔わしたっていいことなんてないぞ?」

「あらあら。酔った志貴さんを見るのは楽しそうですけれど」

 琥珀さんまで怖いことを言ってくれる。

「というか、折角琥珀さんが作ってくれた団子のほうが残ってるじゃないか。飲ま
せるだけじゃなくて少しは食わせろ!」

「兄さんはいつでもそうやって琥珀びいきなんですね…。ええ、言われなくても分
かってますとも」

 言って酒をあおる秋葉。ううむ、7割方酔ってるんだろう。
 しかし、月も綺麗で、皆も楽しそうだし。
 なんというか、こんなに幸せをかみ締められることってない。
 いつまでも、こうしていられたら…。

 ドンドンドンドンドン

 何が起ったのか全く分からなかった。
 俺が気がついた時には、何かに秋葉が吹き飛ばされ、信じられない距離を転がっ
ていっていた。

「秋葉!!」

「秋葉さま!?」

 急いで駆け寄る…、が秋葉はケロリと立ちあがった。

「全く…。気づくのが少し遅れていたら本当に危なかったかもしれないわね」

 カランカランカラン
 秋葉の髪にまきとられた、幾つもの剣が音を立てて落ちる。
 それは、黒い剣だった…。

「秋葉! 大丈夫なのか!?」

「ええ、問題ありません…。それより兄さん。翡翠と琥珀を連れて屋敷に入ってく
ださい」

「何言ってるんだ!? 何がいるっていうんだよ!」

 全く、俺は状況を理解できなかった。

「いいから…。琥珀と翡翠には危険なだけです。兄さんにも」

 見れば、秋葉の髪は赤く染まっていた。まるで、あの夜のように。

「大丈夫です。今はこの力を操れますから。さあ、兄さんは早く!!」

「わ、分かった」

 この状態の秋葉がやられることなんて確かにまずありえない。現状では翡翠と琥
珀さんの安全が第一だ。

「琥珀さん、翡翠! 聞いただろ? 二人とも屋敷に戻るんだ!」

「は、はい」

「わかりました」

 二人に背を向ける形で、俺は剣が飛んできた方向に注意を向ける。

「兄さんも行って下さい。何かが来るようなら私が叩き落としますから」

「そういうわけにもいかない。一体何が起っているのかは知らないけどな、お前だ
けに任せるわけにはいかない。俺は、お前の兄貴なんだぞ?」

 琥珀さんと翡翠が屋敷に入ったのが見えた。

「琥珀と翡翠が襲われたら、誰が守るっていうんですか?」

「グッ…」

 それはそうだ。秋葉は一人でも十二分に強い。それなら俺は…。

「嘘です…。襲撃者はまず一人で間違いありません。心辺りはありますから」

「心辺り?」

 一体、誰が出てくると言うんだろう?

「いい加減出ていらしたらどうですか? シエルさん」

 秋葉は庭の奥、木の陰に向かってそう言った。

「シエル先輩、だって?」

 木の影から姿をあらわしたのは、間違いない…。
 そこには、紛れもなくシエル先輩がいた。




「お久しぶりです。秋葉さん、いえ…、ロアと言ったほうがいいでしょうか?」

「大体のことは知識として入っています。けれど、不意打ちというのはあんまりな
んじゃありませんか?」

「今のあなたはそれだけ強大です…。正直、私の手に負える相手ではありません。
あの一撃で倒れてくれれば良かったのですが、そうも行かなかったみたいですね」

「褒め言葉として受け取っておきます。ならばこそ、私の前に姿をあらわすことの
危険さ…、教えてさしあげます!!」

 俺の全く理解できない所で話しは進む。秋葉の視線がシエル先輩を捕らえる。
 不味いと思ってメガネをはずす。
 絡みつく、赤い髪…。
 メガネをはずす動作よりも、秋葉の視線のほうが速い。
 駄目だ! 何だって二人が争うんだ!
 奪われる、熱を…。
 死んでしまう…、シエル先輩が。

「やめろ秋葉!」

「構いませんよ遠野君…」

 赤い髪に捕らわれながら、シエル先輩はそう言った。

「確かに、あなたの目の前に姿をあらわすのは自殺行為・・・。けれど、あなたも私を
殺せない。そんなことで死ねるというなら、最初からこんな苦労はしなかった」

 何が…。一体何が起っているのか、全く分からない。

「いいからやめろ秋葉! とりあえず俺にも分かるように説明してくれ!!」

「そうですね、彼女に力を使い続けるのは無意味なことです」

 赤い髪が解かれていく。
 ドサリ、と地面に倒れこむシエル先輩。

「先輩!」

「兄さん! 彼女は敵です。近寄ってはいけません」

「敵だって、お前な!」

「さっき私を攻撃したのは彼女なんですよ!?」

「その通りです…。遠野君はこちらに来てはいけません」

 ゆっくりと立ちあがるシエル先輩。

「とはいえ、このままでは遠野君も退いてくれそうにありませんからね。幾つか説
明しましょうか、秋葉さん。あなたもどこまで分かっているのか分かりませんし」

「ええ…。聞かせてもらえますか、シエルさん」

 一体、どうして二人が戦わなきゃ行けない理由があるっていうんだろう。

「遠野君。まずここを分かってもらいたいんですが…」

 シエル先輩はおぼつかない足取りでこちらに向かってくる。そして、顔がはっき
り見えるようになる手前ぐらいで止まり…。

「私が死なない、死ねない人間だということを」

 手にした剣で、その美しい喉…、首を…、薙いだ。

「先輩!?」

「こないで下さい!!」

 止まる…。止まらざるをえない。
 血を流しつづけるシエル先輩…。それをもろともせずに俺を跳ね除ける彼女を前
に、俺は近寄ることができなかった。

「安心していいですよ。私はこの程度では死ねませんから」

 そう言ったシエル先輩は笑顔だった。
 首から大量の血を流しながらも笑顔だった。
 大量の、血…?
 バカな…。

「ええ、このぐらいの傷ならあっという間に治ってしまいます」

 血は、もう流れてはいなかった。加えて…、その服は綺麗なままだった。あれだ
けベットリと血がついたその服も、今は綺麗だった。

「あまり細かいことを言うのもあれですからね…。ともかく、私は今死ねない体な
んです。それは、ロアという吸血鬼が生きているためです」

 吸血鬼?

「彼は転生無限者と呼ばれる特殊な吸血鬼でした。死ぬと次ぎの肉体に転生する…。
そして、今回ロアが転生したのが、遠野四季という人物…。あなたではありません
よ、遠野君」

 言いたいことは分かる…。吸血鬼云々は良くわからないけれど、ロアって奴が四
季に寄生してたってことだ。

「私は、ロアを殺さないと、滅ぼさないと死ぬことが出来ない。ロアが死ねば次ぎ
の転生体へ移動します。私はまたそれを探せばいい…。けれど、今回は違いました」

「その、滅ぼす云々ってのは良く分からないけど」

「殺す、というのはただロアが寄生してる宿主を殺すこと。ロア自体を滅ぼすには、
転生すること自体を否定しなければいけない。そのためには、聖典…、まあ特別な
武器ですね。これを用いるか…、あるいは遠野君の持つ直死の魔眼を使えば…」

「なんだ。それじゃあ簡単じゃないか。いいぜ。俺が手を貸すよ。ようは俺がその
次ぎのロアって奴を殺せばいいんだろう? 正直…、誰かを殺すのは気が引けるけ
ど、吸血鬼なら…。四季みたいにその次ぎの人も変ってしまうなら」

「だから…、違うんですよ遠野君。そうであるなら遠野君の助けは借りず、私は自
分で次ぎのロアを探すだけです。ただ…、今回は違う。ロアの転生体、四季は死ん
でいるのに、ロアは次ぎの肉体に転生していない」

 どういう、ことだ…?

「秋葉さん。あなたがロアを取りこんでいるから…」

 何かの残留思念を取りこんだ…。それによって秋葉は自分をコントロールしてい
ると言った。それが…、ロアという奴なんだったとしたら。

「そういうことです。ロアは秋葉さんが死ぬまで転生できない。それなのに、ロア
は死んでいない。私が出来ることは、秋葉さんを殺してロアを転生させ、次ぎの転
生体を探すか…、秋葉さんの中のロアを滅ぼすか。どちらにしろ、秋葉さんは死ぬ
ことになるでしょうが」

 秋葉が、死ぬだって…。

「面白いことを言いますね、先輩。ええ、そのロアとかいう方の思念から流れ出た
記憶で、大体のことは分かっていましたよ。あなたが前代のロアであることも。け
れど、あなたごときが私を倒せるとお思いですか?」

 先輩は、秋葉を倒す…。

「そこまで自意識過剰ではありませんけど。けれど、私はしなない。気力勝負、長
期戦になれば、私に勝機も出てきます」

 二人が争う、だって?

「何でだよ! 何で二人が戦わなきゃいけないんだ! 何か、何か方法があるかも
しれないだろ!?」

 もう、良く分からないけれど、俺は頭上の月に向かって吼えていた。

「すいません…、遠野君」

 どうして、先輩が謝る。

「そして、秋葉さんも。全部私のわがままなんです。けれど…、私はもう1秒だっ
て同じ姿で時を重ねたくない。老いない、死なないなんていう状況で、一秒だって
生きていたくない。私は、早く人間として死にたいんです」

「無駄だとは思いますが…。私が死ぬまで待ってはもらえませんか、先輩?」

 それは、50年か、それ以上か…。

「すいません、秋葉さん。私は、知ってしまっている。自分の時がとまっていると
いうこと。私というロアが何をしたか。私が他人に何をしてきたか…。私の今の生
きる目的は、人間として死ぬことだけなんです。その目的がなくなってしまったら、
私はどうしていいかわからない…」

 誰かに、似ている。
 生きる目的…。琥珀さん?
 琥珀さんだ。彼女は、復讐をしたかったわけじゃない。ただそこにしか生きる理
由を見出せなかった。

「だから…、私はあなたと戦うしかないんです! 無駄で、無意味と分かっていて
も」

 飛んだ…、後ろに。
 そして繰り出される剣剣剣。
 その全てが、秋葉の髪にまき捕られ、力を失いカラン、と乾いた音を立てて地面
に転がる。

「そうするしかできないなら、そうしましょう」

 先輩を追う、赤い髪。
 今はメガネをはずしている。だから、分かる。
 俺は、先輩にその髪が辿りつくまえに、その髪を殺した。

「遠野君!?」

「兄さん! 何を!」

「だから勝手に話しを進めるなよ!何か方法があるかもしれないじゃないか!!!」

「一体何があるっていうんです!!」

「お前の中にいる、ロアという思念だけを、俺が殺せばいいだろう」

 そう…。秋葉の中にあるロアという思念の死だけを視ることが出来れば…。

「やめたほうがいいですよ、遠野君」

「何でですか!」

「そうすれば、秋葉さんは壊れてしまう…」

 秋葉が、壊れる…?

「シエルさん、あなたという人は…」

「遠野君を悲しませたくない。それは私達共通の思いでしょう? 秋葉さん」

「一体、どういうことなんですか」

「秋葉さんは、今ロアの思念を利用することで遠野家の血を抑えているんです。だ
から、ロアの思念を殺してしまえば…、秋葉さんは戻れなくなってしまう」

 戻れない。思い出す、あの校舎の夜を。
 琥珀さんが死んでしまったと思った、あの夜を。
 あの状態から、秋葉が戻らない…。

「そうなれば、秋葉さんも自分で自分を殺さなくてはならないことになります。そ
れでは、私が救われても秋葉さんは救われない。これでは、意味がないでしょう、
遠野君にとって」

 どちらかが犠牲になって、どちらかが助かる。
 そんなのは…、意味がない。

「何か…、何か方法は…」

「兄さん…」

 クソ! 何でだよ! 何で二人た戦わなきゃいけない!

「一つだけ…、方法があるかもしれません。私と秋葉さんが戦わない方法が」

「本当ですか! シエル先輩!?」

「ええ。遠野君。あなたが私を殺せばいいんです」

 その言葉の意味が、俺には理解できなかった。

「俺が、殺す? 先輩を?」

「ええ、そうです。あなたの直死の魔眼なら、私を殺すことが出来るかもしれない。
私は、死ぬために生きている…。それなら、死ぬことが出来るのならば、無理に秋
葉さんと戦う必要はありません」

「そんな…。そんなの無理だ! できっこない!!」

 出来るわけ、ない。

「そう言ってくれるのはとても嬉しいですよ、遠野君」

 そういって先輩は俺に朗らかな笑顔を向けた。
 そうだ、この笑顔を俺の手で消すことなんてできない。

「けれど、あれも出来ないこれも出来ない。それじゃ生きていけません。私だって、
秋葉さんだって…、覚悟を持って今を生きているんです。遠野君だけそうしてその
場で留まることはできません」

 途端厳しい顔になって、先輩はそういった。
 けど、あの時も結局出来なかった。秋葉を殺せなかった。殺さなかった。それで、
それで良かったと思ってる。けど、あの時は最悪俺が殺されただけだ。今は違う。
 今は、俺が留まってしまえば、秋葉と先輩が戦う。結果はどうなるかわからない。
 先輩はしなないといった。けれど秋葉のほうが強いとも言った。
 それじゃあ、これから何度も二人が戦うかもしれないってことか!?
 そんなの…、そんなの耐えられるはずがない!!

「私だって、早く楽になってしまいたい。遠野君は知らないでしょうけれど、私は
過去に許されない罪を犯している…。ロアという思念とともに。だから、私は死ん
で当然なんです」

「死んで当然の人間なんていない!!」

「ええ、だからこそこうして死ねないんでしょうね…」

 月が、綺麗だった。
 腹が立った。
 何で俺がこんなに悩んでいるのに。
 何でお前はそんなに輝いている、いつもと変わらず。
 何で先輩は笑っている、いつもと変わらず。
 涙が、涙が止まらない。

「遠野君。あなたになら視えるでしょう? 私の死が」

 先輩を視る。確かに、視える…。先輩の死が、俺には視えた。

「けど…、俺にはできない」

「そうですか、それじゃあ仕方ありません」

 先輩が駆ける。向かう先には…。

「志貴さん?」

「来るな、琥珀!!!」

「クッ!? 琥珀、戻りなさい!」

 ニヤリと、シエル先輩が笑った。

「させません!!」

 秋葉の髪が先輩にまとわりつく。今度ばかりはその髪を俺も斬る気はない。
 バサリ
 瞬間、先輩はカソックを脱ぎ捨てた。

「秋葉さん…。私も一応『この道』の人間ですからね。一度ぐらいはごまかせます
よ」

 手には、剣。
 呆然と立ち尽くす琥珀。
 折角…、折角手に入れたあの笑顔を、また俺に失わせるっていうのか!?

 駄目だ。
                                  何が?
 駄目だ!
                                どちらが?
 殺しちゃいけない!
                             シエルが琥珀を?
 殺させない!!
                              俺がシエルを?


「ウアアアアアアアアアアアア!!」

 気がつけば、俺の手はナイフを握り…、ナイフは黒い服を貫いていた。



「あはは。ありがとうございます、遠野君」

「先輩…、すいません。先輩…」

「どうして泣くんですか? 私は、今とても満足していますよ」

 先輩が、ゆっくりと死んでいく。それは、俺の眼には良く分かりすぎた。

「でも、直死の魔眼に殺されたのに、こんなにゆっくり逝けるなんて、私の体がやっ
ぱり特別だからでしょうか。それなら、少しはこの体にも感謝しなくちゃいけませ
んね。こうして今しばらく遠野君と話せるなら…」

 涙が、止まらない。
 ふさがらない傷。血は流れない傷。

「琥珀さん、すいません。あなたをダシにしてしまいました」

「シエルさん…」

「全く、羨ましいです。遠野君の心をゲットしたなんて」

 そう言ってシエル先輩は微笑んだ。弱弱しく…。

「あなたと私は似ていたのかもしれませんね。先ほどお話を影で聞かせていただき
ましたけど」

「ええ、そうかもしれません。全く、秋葉さんは力は絶対ですけど、もう少し気配
に敏感にならないといけませんよ。…彼女が出ていたことにも気づかないなんて」

「シエルさん。あなたという人は」

「先輩! 先輩!!」

「泣かないで下さい遠野君。何でもないことなんです。昔死んでいたはずの人間が
ようやく土に帰れるというだけのことですから。本当に感謝してるんです。だから、
泣かないで」

 もう、間に合わない。
 もう、何も出来ない。
 もう、死んでしまう。
 もう、この人の笑顔をみることも…
 もう、この人の声を聞くことも…。
 出来なくなってしまう。

「ああ、失敗しましたね。今日のカレーは良く出来たと思ったんですが…。食べて
おけば、良かったかな」

「カレーは寝かせたほうが美味いんでしょう! 明日俺が先輩のいえに行きますよ!
そしたら、ご馳走してください!」

 クソ! クソ!!

「もう、わがままなんですね、遠野君は。でも、そんなあなたが…」

 何で、何で…。

「スキでしたよ」

 何で俺には殺すことしか出来ないんだ…。




「志貴さま。昼食の準備が出来たそうです」

「分かった…。すぐに行くよ」

 結局、眠れなかった。あれで、良かったのか?
 何か他に方法はなかったのか…。

 階段を降りる。
 秋葉と丁度会った。

「兄さん…、大丈夫ですか?」

「俺は、大丈夫さ」

 そう、俺は大丈夫だ。だって、俺はこうして生きているから。

「皆さん揃いましたねー!」

 食堂から聞こえる明るい声。琥珀さんだ。

「それでは、今日は秋葉さまに許可もいただきましたし、4人で一緒にご飯を食べ
ましょう」

 明るい、声。俺の大スキな声。
 この声を聞くだけで、これで良かったのかと思えるほど。

「今日はカレーですよ」

 カレー?

「カレー? 琥珀はカレーは料理と認めてないんじゃなかったの?」

「まあ、ちょっとした心境の変化ですよ」

 シエル、先輩。
 カレーが注がれた皿は5つ。
 一つの席に、つく人はいない。
 無神経なんじゃないか…。少しだけ、気に障る。

「ああ…。カレーって美味しかったんですね」

 琥珀さんの、そんな一言。
 何でもない、一言。

「浅上でもカレーなんてでませんからね。私も食べるのは初めてのようなものです
が、美味しいものですね」

 秋葉の、言葉。

「美味しいです、姉さん」

 翡翠…。
 皆、分かってる。分かってても進むんだ。



 遠野君だけそうしてその場で留まることはできません



 先輩は、そう言った。
 先輩を忘れることなんて出来ない。
 どんな理由があったとしても、先輩を殺めた罪は忘れては行けない。
 けれど、それで止まってはいけないんだと思う。

「琥珀さん。美味しいです」

「はい。私自身少し驚いてます」

 もう迷わない。
 全てを救うことができないというなら・・・。
 俺は何においてもこの大事な家族、大好きなこの場所を守ってみせる。
 それが、琥珀さんは、復讐を目的にしなければ、生きられなかった。
 シエル先輩は、死ぬことが生きる目的だった。
 でも、俺には何もなかった。
 琥珀さんやシエル先輩は、自嘲してそんなことが目的、何て言っていたけど、何
の目的もないで生きている人間のほうが、きっと多い。
 それなら、俺ぐらい…。誰かを守るために生きるのもいいんじゃないかって思う
から。
 殺すことしか出来ない俺でも、この大きな屋敷は無理でも、この小さいけれど最
愛の家族達は守れるかもしれないから…。



<< 戻る
動画 アダルト動画 ライブチャット