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トリトマ〜永遠恋慕〜



1/永年恋慕
「弓塚、遠野はまだ着ていないか? ちょっと家のことで話があるんだが」  時間は七時四〇分。ホームルームまで後二〇分のクラスの中にはまだ生徒はまだ らだった。  私は先生にいきなり遠野くんのことを聞かれて、少しだけドキリとする。 「い、いえ。まだ着てないみたいですけど」  努めて冷静に、私はそういった。 「そうか……。いや、それならいいんだ。悪かったな、弓塚」  そうとだけ言って先生は行ってしまう。  家のことで話がある……。  遠野くんの家族の人に何かあったんだろうか?  それとも、まさか昨日火事にでもなったんだろうか?  それとも、もしかして、遠野くん転校でもしちゃうんだろうか……?  それは困る。  物凄く困る。  色々と不安だけが心配を空回りさせて、考えが全然纏まってくれない。 「さつき、どうかしたの?」  クラスメートの箕輪加奈子が先生に私が声をかけられたところを見て、そう声を かけてきた。 「ううん。何でもないの。ただ、遠野くんがいるかどうか聞かれただけだよ」  不安で一杯になる頭をなんとか整理して、私はそういった。 「遠野? ああ、確かにまだ着てないね」 「遠野くん、どうかしたのかな?」  家のことで話があるって……。私はどうしてもまず転校と思いついてしまう。  それとも、家族の方に何かあったんだろうか? 「うーん……。そういや風の噂だけど、遠野が夜、それも零時を回ったぐらいに街 を歩いてるって話を昨日聞いたな」  加奈子は、さらりととんでもないことを言った。 「それ本当?」  内心動揺しつつ、けれど極めて冷静に私はそう尋ねる。  この気持ちは、できればあまり知られたくはなかったから。 「いや、だから風の噂だってば。まあ、その手の噂は宛にならないからね。でも、 今丁度吸血鬼殺人とかで騒いでるじゃん。それで噂だけにしろ、確認しようと思っ たんじゃないの?」  そんなことは知らなかった。  私は、家のことについて話があると聞いただけ……。  けれど、そんな噂があったなんて。 「おや、噂をすれば。遠野が着たじゃん」  教室のドアに目をやると、確かにそこには遠野くんがいた。  ドクン…、ドクン 『おはよう、遠野くん。先生がさっき呼んでたよ?』  ただそれだけ。ただそういえばいいだけ。  けれど、遠野くんを好きになって大分たつけれど、私から声をかけたことなんて 一度もない。当然、その逆も……。  ドクンドクン  けど、私はどうしても気になった。  遠野くんに何かあったのか。  だから、思いきって声をかけてみることにする。  もしかしたら、これがきっかけで普通に話すことができるようになるかもしれな い。  そうだとしたら、遠野くんを探していた先生にちょっと感謝かな……。  そんなことを考えながら、私は高鳴る心臓を抑えて席に向かう遠野くんを追って、 声をかけた。 「おはよう、遠野くん」  ―――――言った。  ただそれだけのことだけど、私の胸はさらに高鳴る。  早く振りかえって私に気づいて欲しい。  けれど、もしかしたら『なんだよ?』なんて思われるかもしれない。  そうであるなら、このまま気づいて欲しくない。  けど……。  そんなことを考えている私をおいて、遠野くんは振りかえった。 「―――え?」  もう、後には引けない。  私は用意しておいた言葉を告げる。 「遠野くん、さっき先生が捜してたよ。なんかお家のことで話があるとか言ってた けど」 「……ふうん。家のことって、引越しについてかな」  遠野くんと話せた。  私に言葉を返してくれた。  けれど……、そんな喜びよりも今の一言のほうが、私にはずっと衝撃だった。  引越し?  やっぱり……、転校なの? 「えっと……。おはよう、弓塚さん」  今度は、その不安を喜びが打ち消した。  名前……、覚えていてくれたんだ。 「うん、おはよう遠野くん。わたしの名前、ちゃんと覚えていてくれたんだね」  最初に声をかけた時の緊張が嘘のよう。 『おはよう、弓塚さん』  まるでその一言が魔法であったかのように、私は次の言葉を自然に出すことがで きた。 「クラスメイトの名前ぐらい覚えているよ。その、弓塚さんとはあまり話したこと がなかったけど」 『私は、ずっとずっと前から遠野くんを知ってたんだよ』 「そうだよね。うん、だからわたし、遠野くんに話しかけるのはちょっと不安だっ たんだ」  その言葉を飲みこんで、私はそう言った。  純粋に嬉しかった。  こうやって遠野くんと何気ない挨拶や会話ができるだけで、本当に……。  けれど、さっきの言葉が急に頭に甦る。 『引越しのことかな』  やっぱり、転校なんだろうか。  今日初めて話したようなものなのに、そんなことまで聞いていいんだろうか?  けど、今聞かないと、きっとずっと聞けない。  だから、私は勇気を振り絞って聞いてみた。 「遠野くん。その、ちょっと聞いていいかな?」 「はあ。俺に答えられることぐらいならいくらでもどうぞ」  私の決死の決断も知らず、遠野くんはどこかぼうっとした感じでそう言った。 「うん……その、こみいったコトならごめんね。その、いま引っ越しって言ったけ ど、遠野くんどこかに引っ越しちゃうの…?」  それは、きっとあの高校入試の合格発表を見るときぐらいの緊張ではなかっただ ろうか。 「急な話だけど。もしかして、転校とかするの?」  わたしの番号と、遠野くんの番号。  その両方がないと意味がなかった。  私の番号よりも、遠野くんの番号を確認してしまった私はやっぱり変なんだろう か……。  番号を、事前に調べてまで。 「ああ、違う違う。住所が変わるだけで学校は変わらないよ。引越し先もこの街だ し、そうたいしたことじゃないんだ」  1028……。1076!!  あの時の映像が、一瞬目に甦った。  大げさかもしれないけど……。でも、遠野くんと同じ高校に通うために受験して、 それに受かったときと、折角同じ学校に通えて、同じクラスになったのに別れるか もしれないときなら、その緊張の度合いはきっと一緒だよね。 「そう―――、良かった」  本当に……。折角、こうして話せたのにそれで転校なんて残酷すぎる。 「でも遠野くん、お家が変わるっていう事は、もしかして有間さんのお家から出る ことになったの?」  私はふと疑問に思ったことを聞いてみる。  安心しきってしまったせいか、もう緊張はしなかった。 「ああ、名残は惜しいけどいつまでもお世話になってるわけにもいかないし―――」 「いよぉう、遠野!」  その時、ドアから私の苦手な声が聞こえてきた。  声の主は、真っ直ぐ遠野くんの横に歩いてきて、 「よう、弓塚じゃんか。珍しいな、お前と遠野が話してるなんて」  と、言った。悪かったね、珍しくて!  そう思うなら邪魔しないでくれれば良かったのに!!  なんて勝手なことを思ったけれど、それは口には出せない。 「……おはよう、乾くん」  無視するわけにもいかない。それに、別に嫌いなわけではなかった。  けれど、私はどうしても彼が苦手だから、下を向いてしまう。 「にしても、朝っぱらから女ひっかけてるなんてどういう風の吹き回しだよ。遠野、 女にあんまり興味ないんじゃなかったっけ?」  ひっかけている、という言葉に少し照れる。  けれど、その後の女の娘に興味がないという言葉で、私はなんとも微妙な気分に なった。  遠野くんの目が、他の女の娘にいかないのはうれしいけれど、わたしの気持ちに もずっと興味がない なんてことは、凄い寂しいから。 「バカ、あんまり人聞きの悪いこと言うな。俺はいたって普通の、ちゃんと女の子 に興味もある男の子だよ」  それを聞いて、さらにわたしは微妙な気分になる。  喜んでいいのか、悪いのか。  あ、でも遠野くんが目の前のわたしのことを考えて、『女の娘に興味がある』っ て、言ってくれたならうれしいな。 「そっかそっか、そりゃあよかった! ま、今どきはノーマルな性癖よりアブノー マルな性癖のほうが女どもにはウケるんだけどな。もっともウケるだけでその後に は続かねえけどさ!」  そういって乾くんは大きな声で笑った。  その冗談(と思いたい)で、一番怪しまれるのが乾くん自身だと彼は気づいてい ないんだろうか? 「ったく、朝っぱらからうるさいヤツだなオマエは。こっちは色々と込みいってて ブルー入ってるんだから、今日一日は近寄らないでくれ」  ちょっとだけ、本当にそうなればなんて思ってしまう。  乾くんのことは嫌いなわけじゃない。  けれど、どうしても苦手だった。  今は、遠野くんも他のクラスメートなんかともよく話す。  けれど、中学校時代はそうではなかった。  いつも、乾くんとだけ話していた。  乾くんは、遠野くん側の人間。  わたしはずっと見てきたからわかる。  わたしは普通の人間で、遠野くんや乾くんは、少し違う。  わたしはそっち側に行きたかった。  だって、そうでないときっと遠野くんはわたしを見てはくれないから……。 「……はあ。どうしてかな、遠野ってばオレにだけ冷たいよな。他のヤツラには聖 人君子みたいなヤツなのに、不公平だ」 「なんだ、わかってるじゃないか有彦。世の中、公平な事ってあんまりないよ」 「……やっぱり遠野はオレにだけ冷たいよなあ」  そんな遠野くんと乾くんのやりとりが聞こえて、わたしは心の中で少し抗議する。  その乾くんのいう冷たさを、わたしはずっと求めているのに。  遠野くんが乾くんだけは別っていうふうに見てる証拠なのに……。 「―――で、有彦。普段は二時限目から出席する夜型人間のおまえがホームルーム に顔を出すなんて、 どんな風の吹き回しだ。ちょっと、いやかなり普通じゃない ぞ」 「早起きの理由……? そうだな、最近はなにかと物騒だから夜遊びできないじゃ ん? だから必然的に夜中に眠ってしまうワケですよ。遠野だって知ってるだろ、 ここんところ連続している通り魔事件の話」 「―――そっか。そういえばそんな話もあったっけ」  やっぱり、遠野くんが夜出歩いてる噂なんて嘘だ。噂のことさえ知らないんだか ら。  誰かが見間違えたんだと思う。 「なんだっけ、すごく低俗な売り文句だったよな。連続猟奇殺人事件、とか」 「それだけじゃないぜ。被害者はみんな若い女で、二日前に八人目の被害者がでて る。かつ、その全員が―――なんだっけ?」 「………………」 「ああ、思い出した! 被害者全員がバラバラ死体で、アソートを作れるんだとか どうとか!」 「……違うよ、乾くん。殺されちゃった人はみんな、体内の血液が著しく失われて いる、でしょう?」  わたしはニュースで得た情報を伝える。 「ああ、そうだったそうだった。現代の吸血鬼かっていう見出しだったもんな、ア レ」 「ふうん。詳しいんだね、弓塚さん」 「そんなコトないよ。この街で起きている事件なんだもん、ニュースを見てればイ ヤでも覚えちゃうことだと思う」  褒められた……、わけではないかもしれないけど、わたしは遠野くんが言葉をく れるだけで嬉しくなってしまう。 「―――とまあ、そういうコトだよ遠野。いくらオレでもね、夜中に殺人犯が出歩 いているうちは夜遊びはしない。そういうわけで最近はまじめに朝七時に目を覚ま しているのだ」 「……なんだ、そんな理由だったのか。まともすぎてつまらないな」 「なんだよ、つれないな。さてはアレか、朝から貧血でぶっ倒れたのか?」  遠野くんは、確かに良く貧血で倒れる。  高校に入ってからは少なくなったけれど、中学校の頃は結構頻繁に倒れていた気 がする。  わたしは、なんども勇気を出して傍に駆け寄ろうと思うんだけど、悩んでいるう ちに乾くんが駆け寄ってしまう。  ずっと見てきたから、遠野くんが倒れそうなとき、っていうのもなんとなくわか る。  けど、わたしがあっ、と思ったときには、いつも乾くんの手が遠野くんにかかっ ていた。 「いや、今朝はまだ大丈夫。心配してくれるのはありがたいんだけどね、そう四六 時中貧血を起こしてたら体がもたないよ」 「ああ、そりゃもっともだ。遠野が大丈夫だっていうんなら、まあ大丈夫なんだろ うよ」  昔は、男の子に嫉妬するなんて夢にも思わなかった。  けれど、今ではもうそれが普通になってしまっている。 「ほら、授業が始まるぞ。早く席に戻れ」  そんなことを考えていると、始業のベルが教室になり響いた。 「それじゃあね、遠野くん」  わたしは席に戻るまえに、遠野くんにそう声をかけた。 「あ―――うん、弓塚さんも、付き合わせて悪かったね」  途中で乾くんが入ってきてしまったけど、それでもわたしは物凄く嬉しかった。  だって、あの日から初めて遠野くんと話せたんだから。  昼休みになった。  遠野くんは今日はどうやら教室でご飯を食べるみたい。 「さつき、先食べるよ?」  わたしがぼーっとしているのにしびれをきらしたのか、いつも一緒にご飯を食べ る加奈子がそういった。 「あ、うん。わたしもすぐに用意するから」  どうしよう……。遠野くんは殺人鬼騒ぎのことすら知らなかった。  けど、殺人鬼の事件とは関係ないけれど、もしかしたら夜街には出ているのかも しれない。  机を加奈子の机にあわせて、お弁当を広げながらそんなことを思う。 「何あれ? 上級生?」  加奈子がそんな声をあげる。  遠野くんと乾くんと一緒に、一人の女性が立っていた。  誰だろ、あれ? 「シエル先輩……、だっけ?」  わたしは話したこともないはずだけれど、何故か名前は覚えていたようだ。 「あー、そういえばそんな名前だっけ。先生方がやたらと気に入ってるみたいだか らねえ」  遠野くんは、そのシエル先輩と顔見知りらしかった。  わたしはずっと遠野くんを見てきて、今日初めてちゃんと話せたようなものなの に、先輩は当たり前のように遠野くんと話していた。  なんだか……、ちょっと複雑。 「しかし、なんだって下級生のクラスなんぞに来るんだろうね? 見る限り、遠野 か乾がお目当てなのかな? 全く……、趣味の悪い」  その言葉にわたしは少しむっとする。  遠野くんを好きになったわたしも趣味が悪いっていうことなんだろうか?  けど、と思いなおす。  その方が都合がいいかもしれない。  遠野くんに人気があったら困るもんね。  わたしが遠野くんを見ると、遠野くんは3人で仲良く話してるところだった。 「ごちそうさま」 「ハヤッ!? あんた半分も食べてないじゃない」 「うん。ちょっと遠野くんに聞きたいことがあるからさ」  そういってお弁当箱を片付ける。  わたしは、これ以上遠野くんがシエル先輩と仲良く話してるのを見るが耐えられ なかったのかもしれない。 「ふーん。ま、頑張りなよ」  そういっておにぎりをぱくつきながら、加奈子は親指を立てた。  わたしが遠野くんを好きなことは、誰にも言ったことはない。  そういうそぶりを、見せたことも殆どないはずだ。  だから、今日まで話かけられすらできなかったわけだし。  けれど、この高校に入ってから一番にできた友人だけはどうやら気づいているら しい。  といっても、気づいているとういうことも、加奈子は今のセリフがあるまでわた しに気づかせなかった。実は、彼女は凄い洞察力とポーカーフェイスを持っている のかもしれない。 「そんなのじゃないよ。ちょっと、今日聞いた噂のこと聞くだけだから」  そう言ってわたしは遠野くんの席に向かう。 「それが気になってるってことだと思うけどね、わたしは」  背後から聞こえる加奈子の声は無視して、わたしは遠野くんの横にたつ。 「ええ、そうですよ。遠野のヤロウは両親に遠慮して、長い休みになると家に居づ らいってんで逃げてくるんです。このヤロウ、預けられたってことで有間の家の人 たちに遠慮してたんだ。で、体よく部屋が空いてるオレのところに転がり込んでく るってワケ。こいつは外見がいいから姉貴にも気に入られちまってさ、厚かましく も手ぶらで泊まりにくるんだぜ!」 「……預けられたって、遠野くんがですか?」  その話は、わたしも知っている。  どうやら、今は遠野くんの家のことを話しているみたいだった。  どうも、会話に入っていくことができない。  遠野くんに話の途中に話しかけるなんて、わたしにとっては凄い冒険だ。  そうこうして会話の内容も良く聞けず、一人で話しかけるかどうか悩みつづけて いると、遠野くんがこちらを向いた。 「弓塚さん、どうしたの?」  神様ありがとう!!  なんだか、今日は本当にいい日な気がしてきた。 「あ……うん、遠野くんに話があるんだけど、今いいかな?」 「いいよ。ここでしていい話?」 「えっと……」  ちらりと、乾くんとシエル先輩に視線を向ける。  別に、そうたいした話じゃない。  けれど、乾くんの前で、わたしが遠野くんと話しているところを見られることに、 わたしは少し戸惑った。  それに自分自身ではそういう意識はしてないつもりだけれど、シエル先輩と遠野 くんを離したかったのかもしれない。 「廊下のほうで話したいんだけど、いい?」  そうして、わたしはそう言った。 「かまわないよ。それじゃちょっと席を外すぜ、有彦」  意外にも遠野くんは当然のようにそう言って廊下に向かってくれる。  わたしは、表情にはださず一人安堵した。 「それで、聞きたいことって何?」  廊下に出るなり、遠野くんはそう言った。 「うん、間違いだったらゴメンね。遠野くん、このごろ夜になると繁華街のほうを 歩いてない?」 「は―――?」  わたしがそう尋ねると、遠野くんは本当になんのこと? という顔をした。 「……ふーん。夜中って、どのくらいの時間?」  遠野くんはまるで他人のことを聞くかのようにそう尋ねる。 「わたしが聞いた話だと、零時を過ぎてるっていうんだけど」 「それ、間違いなく俺じゃないよ。俺んとこは古い家だからさ、門限は夜の七時な んだ。それを過ぎると泣いても中にいれてもらえなくてね。野宿だけはしたくない んで、親が死んでも七時には帰る事にしてるんだ」  良かった……。  やっぱり噂は間違っていたらしい。遠野くんの今の言葉じゃ、とても演技には思 えなかった。 「うん、知ってる。有間さんの家ってなんとか流の茶道の家元だもんね。そっか、 遠野くんにも厳しくしてるんだ」  わたしは嬉しくて、今までで知った遠野くんに関する知識の一つを口に出してし まう。 「厳しいっていうより、あれはいじめて楽しんでるんだ……って、弓塚さん、よく そんなこと知ってるね。もしかしてうちの門下生なの?」  やっぱり、遠野くんは少し不思議に思ったらしい。 「ううん。わたし、茶道っててんでわからないもの。友達が通ってて、その子から すっごく厳しいって聞いただけだよ」  わたしは本当のことを話した。有間さんの家が厳しいという話は、そこに通う友 達から聞いたものだ。 「そっか……けど弓塚さん、なんで俺が有間さんの家に住んでるって知ってるんだ?  俺、高校になってから誰にも話してないんだけど」  それぐらい、知ってるよ……。わたしはずっと遠野くんを見てきたんだから。 「遠野くん、わたしと中学校が同じだったって忘れてるでしょ」  けれど、そんなことはとても言えない。  だから、わたしはそう一つの事実だけを伝えた。 「え――――?」  やっぱり、忘れてるか。  少しだけ寂しかったけれど、今こうして遠野くんと話せているから、それはあん まり気にならなかった。 「弓塚さん、もしかして、その―――」  その後にどんな言葉がくるかはわたしにはわからない。  けれど、その続きは怖かった。  まだ、遠野くんにわたしの気持ちを知られるのは怖かった。  それに、2年間も中学でクラスメートだったのに、覚えてすらいてもらえないこ とを目の前で言われるのも辛かった。  だから、その可能性があるなら、わたしは……。 「遠野くんじゃなければいいんだ。お食事中、邪魔してゴメンね」  そういって遠野くんの言葉をさえぎってきびすを返す。  これでいい。今日はこんなに遠野くんと話せたんだから、これ以上望むべくもな い。  だから、特別遠野くん意識を向けないように注意して、わたしは午後の時間をす ごした。 「今日はいい日だったなあ」  遠野くんと話していた時のことを考えると、顔がにやけてしまう。  本当、こんな日は全てがうまくいくんじゃないか……、なんて、子供みたいなこ とを考えていたら、校門のむこうに遠野くんが見えた。 「あれ、遠野くんだ」  わたしは思わずそう声を洩らしていた。  どうして家が反対方向の遠野くんが正門側にいるんだろう。  偶然会えたのは凄く嬉しいけれど、わたしは少し気になった。 「あれ、弓塚さんだ」  遠野くんも、突然わたしに会って驚いてるみたいだった。 「えーっと、弓塚さん? 俺の顔に何かついてる?」  やだ……、わたしそんなにじっと見てたのかな。 「だって、どうして遠野くんがここにいるのかなって。遠野くんの家、反対方向だ よ?」  慌ててわたしは疑問を口にした。 「あ……まあ、昨日まではそうだったけど、今日からは別だよ。これからはあっち の住宅地の奥にある、坂の上の家に住む事になったから」 「あ、朝言ってたのはそのことだったんだ」 なるほど、と納得する。  住む場所が変わったなら、遠野くんが帰る道も変わって当然だった。 「……そういう事。弓塚さんは知ってるから隠しても仕方ないよな。俺さ、預けら れていた有間の家から今日づけで実家に戻ることになったんだよ」  知っているから、とは言うけれど、遠野くんが自分のことをわたしに話してくれ るのは嬉しかった。 「実家って、その……遠野さんのお屋敷に?」  遠野くんの実家はかの遠野グループの家だったはず……。  この街には場違いなほど大きなあの屋敷で、遠野くんは今日から暮らすことにな るんだろうか。 「ああ。自分でも似合わないって思うんだけど」 「そっか、遠野くんってば本当は丘の上の王子さまなんだもんね。わたしと乾くん ぐらい しか知らない秘密だったのに、これじゃすぐみんなにバレちゃうかなあ」  うちの中学からこの高校に来た人はあまり多くない。  それに、中学が同じなら、誰でも知っているというわけでもなかった。  わたしは遠野くんが暮らすだろう屋敷の方向に目をやった。 「でも大丈夫? 自分のお家だって言っても、もう八年も離れているんでしょう?  その、恐いなー、とか不安だなー、とか思わない?」  それは素直な感想だった。  遠野くんは八年前に実家を離れたという。  この話を聞いた相手が乾くんだと知ったら、遠野くんは驚くだろうか。 「そうだね、実際不安ではあるよ。もとから俺はあの屋敷が好きじゃなかったし、 今じゃ 他人の家みたいに感じるしね。けど、それでも―――やっぱり自分の家な わけだから。そこに戻るのが一番自然な形だと思うんだ」  そういって遠野くんは少し遠い目をする。  きっとわたしの知らない遠野くんの一面。  いつかは知りたいと思う。  けれど、こんな目をしてる遠野くんに、わたしがこれ以上突っ込んで聞けるはず はなかった。 「……そっか。あ、呼び止めちゃってゴメンなさい。遠野くん、急ぐんでしょ?」  そう思ってわたしはそうその話を切った。 「いや、別に用事はないよ。のんびり散歩がてらに帰ろうとしてただけだから」 「あ―――そう、なんだ」  遠野くんはすぐにいつもの顔に戻り、そういった。  遠野くんと話してること自体が嬉しくて忘れてたけど、そういえば遠野さんのお 屋敷って、わたしの家と同じ方向にあるんだった。  どうしよう……。一緒に帰ろう、って言ってみようか。  けど、何言ってるんだ? なんて言われたら立ち直れない。  けど、折角のチャンスだし、今日はハッピーデーのはずだし……。 「……弓塚さん? どうしたの、気分でも悪いの?」  どうしよう。遠野くんが困ってる。  けど、わたしだって困ってる。  自分勝手だとはわかってるけど、私は今ものすごく悩んでる。  じっと、遠野くんがわたしを見る。  その目は、わたしを気遣ってくれる目だった。  …………。  大丈夫。もし断られたとしても、遠野くんは気を悪くしたりはしない。  遠野くんは、そんな人じゃないから。 「あ、あのね!」  意を決して、わたしは口を開いた。 「うん、なに」  遠野くんは、まだわたしを心配そうな顔で見てる。 「あの、そのね、わたしの家と遠野くんの家って、坂に行くまで帰る道が一緒、な んだ、けど……」 「そうなんだ。それじゃ途中まで一緒に行こっか」  いつもの笑顔に戻って、遠野くんは当然のようにそう言った。 「―――え?」  わたしは素っ頓狂な声をあげてしまう。  本当に、今日は神様に感謝しなきゃいけないみたい。 「う、うん―――そうだよね、帰る道が一緒なんだから、途中まで一緒でもおかし くないよね!」  わたしは嬉しくて、自分でもおかしいと思うぐらい弾んだ声でそういいながら、 遠野くんの横に並んだ。 「丁度よかった。俺、このあたりの道に不慣れだからさ、弓塚さん案内してくれな いか」  何度夢にみたことだろう。  こうして遠野くんと一緒に帰るのを。 「うん、それじゃあこっちの道に行こっ。坂道までの裏道があるんだ」  そう言ってから、わたしは少しだけ後悔した。  普通の道で帰ったほうが、長く一緒にいられたかもしれない。  けれど、そんな考えはすぐに消えた。  だって、わたしは今遠野くんと一緒に帰ってるんだから。  遠野くんとの会話は、何気ないものばかりだったけど、物凄く楽しかった。  これからも通学路が一緒なら、こうしてまた一緒に帰れたり、一緒に登校できた りするかもしれない。 「―――ふふ」  思わず、口から笑いが溢れてしまった。 「なに、いきなり。なにかおかしなこと言った、俺?」 「ううん。単にね、わたしと遠野くんは明日から同じ通学路になるんだなあって」  遠野くんがそういったから、私は思った通りのことを言った。  不思議だった……。  こんなに自然に遠野くんと話しができているなんて。  こうして、一緒に帰れるなんて。  不思議だけど、とても嬉しかった。  それから、しばらくは無言だった。  けれど、わたしは凄く楽しかった。  こうして、当たり前のように遠野くんと夕暮れの帰り道を歩いてることが。  無言が、気まずいものでは全くなく、とても心地いいものであることが。 「ね。中学二年生の冬休みこと、覚えてる?」  そんな不思議な雰囲気だったからだろうか。  わたしはそんなことを口にしていた。  遠野くんは首をかしげていた。  わたしのいいたいことがわからないという顔だ。  それも当然のことだとは思うけど……。 「やっぱりなあ。遠野くんの事だから、絶対に覚えてなんかないと思った」  それでもわたしは少し寂しくて、残念でそう言って肩を落とした。 「ほら、わたしたちの中学校って体育倉庫が二つあったでしょ? 一つはおっきな 運動部が使う新しい倉庫、もう一つはバドミントン部とか小さな運動部が使ってい た古い倉庫。で、この古い倉庫っていうのが問題でね、いつも扉の建て付けが悪く て、開かなくなる事が何回もあったの」  わたしはあの時のことを思い返しながら遠野くんにそう説明する。 「ああ、あの倉庫か。一度生徒が中に閉じ込められてから使われなくなったってい う」  そうだよ……。 「そうそう。その生徒っていうのが当時のバドミントン部の二年生」 「―――ああ」  そういって遠野くんは少し黙った。  あの時のことを思い出してるのかもしれない。  わたしのことを覚えていなくても、そのことを覚えてくれていたのは嬉しかった。 「……そういえば、そんな事もあったな。でもそんな話をよく知ってるね。あれ、 閉じ込められてたバドミントン部の主将が“部の存続にかかわるからこの事は秘密 にしなさい”って、俺に脅しをかけてきたぐらいなんだけど」 「もうっ。遠野くんってば中に誰が閉じ込められてたか、まったく興味がなかった んだね。いい? わたしはそのころバドミントン部の部員だったんだよ」  さっきあんなことを考えていたばかりだけど、当たり前のようにわたしのことを 覚えていないのにはやっぱり少しだけ頭に来た。  これも自分勝手な怒りだけど。 「―――わたし、ちゃんと憶えてるよ。今にして思えばただ倉庫に閉じ込められた だけだったんだけど、あの時は寒くて暗くて、すごく不安だった。このままここで 凍死しちゃうんだーって、みんな本気で思ってたんだから。おなかだってぐうぐう に減ってたし、ほんとーにダウン寸前だったんだ」 「はあ。それは、タイヘンだったね」  遠野くんは、どうも気がないかのようにそういうけれど、私は気にせずに続けた。 「そうしてみんなが震えてる時にね、遠野くんがやってきたの。いつもの、自然で 気負ったところのない口調で“中に誰かいるの?”って。見てわからないのかーっ、 て主将がカンシャクをおこしたの、覚えてる?」 「ああ、それは覚えてる。ドガンって扉にバットを投げつけた音だろ。アレ、びっ くりしたよ」 「そうそう」  わたしはあの時の主将を思い出して、少し笑ってしまう。 「でも、先生方はみんな帰ってるって聞いて、わたしたち本当に絶望したんだから。 あと一分だって耐えられないのに、もしかしたら明日までここに閉じ込められるか もしれないって思って。そうしてわたしたちが世をはかなんでいる時にね、コンコ ンって扉がノックされて、遠野くんはこう言ったんだ。『内緒にするなら開けられ ないこともないよ』って」 「ああ。そこでまたドガンって音がしたっけ。“かんたんに開けられるなら苦労し ないわーっ!”って、すごい剣幕だった」 「あはは。うん、主将はわたしたちが閉じ込められて責任を感じていたから、ちょっ と余裕がなかったんだ。でもね、そしたらすぐに扉が開いたんだよ。みんな主将の バットが効いたって喜んで外に飛び出したけど、わたしは扉の横でぼんやりと立っ てた遠野くんをちゃんと見てたよ」  そう、自分が助けたことに恩を着せよう、なんていうのとはかけ離れた感じだっ た。  ただ、そこにたっているだけ。喜んで横を通りすぎていくほかの部員を、ただ笑っ てみていた。けど……、ドアが開いてからも泣きつづけていたわたしにだけ……。 「その時ね、わたし、すごく泣いてたの。まぶたなんか腫れに腫れちゃって、もう クシャクシャ。そんなわたしを見て、遠野くんはなんて言ったと思う?」 「わからないな。なんて言ったの?」  やっぱり、覚えてないんだ。けれど、それだけあれが遠野くんにとって自然なこ とだったんだと考えると、嬉しくなる。わたしの好きな人が、本当にこういう人な んだって。 「それがね、わたしの頭にぽんって手をのっけて、“早く家に帰って、お雑煮でも 食べたら”って。わたし、よっぽど寒そうに震えていたんだなって恥ずかしくなっ ちゃった」  遠野くんは眉間に皺を寄せて、悩んでいる。 「きっとね、遠野くんはお雑煮を食べれば体が温まるよって言いたかったんだと思 う」 「……そっか。正月の後だったからね」  遠野くんは自分のそのセリフにあきれているようだった。  でもね、わたしはその一言を忘れた日は1日もないんだよ? 「わたしね、あの時に思ったんだ。学校には頼れる人は一杯いるけど、いざという 時に助けてくれる人っていうのは遠野くんみたいな人なんだって」  そう、あの時がわたしの恋の始まりだった。 「まさか、それは買い被りすぎだよ。ほら、ひよこが初めて見た人間を親と思うの と一緒。たまたま俺が助けられただけっていう話じゃないか」 「そんな事ない……! わたし、あの時から遠野くんならどんな事だって当たり前 みたいに助けてくれるって信じてるんだから」  そう。遠野くんはどこか違った人。  けれど、わたしは彼のそんなところを好きになってしまった。 「弓塚さん、それ過大評価だよ。俺はそんなに頼れるヤツじゃないんだけど」  彼はそういうけれど、私にとっては、遠野くんはいつでもわたしを助けてくれる スーパーマンだった。 「いいの。わたしがそう信じてるんだから、そう信じさせて」  だから、遠野くんの目を見てそういった。 「――まあ、それは弓塚さんの勝手だけど」  うん。勝手。でも、この『勝手』はきっと正しいと思う。だから……。 「でしょ? だからまたわたしがピンチになっちゃったら、その時だって助けてく れるよね?」  実際にそういう場面がある必要はない。  けど、遠野くんがわたしをまた助けてくれる。  そうもし約束してくれるとしたら……。  今日は、本当に不思議な日。  自分が、こんなに積極的になるなんて昨日までは夢にも思わなかった。 「そうだね。俺に出来る範囲なら、手を貸すよ」 「うん。ありがとう、遠野くん。随分と遅れちゃったけど、あの時の遠野くんの言 葉、嬉しかった」  やっぱり、遠野くんはそう答えてくれた。だから、ありがとう。  あの時の言葉と。それと、こっそり今の言葉にも感謝を込めて。 「わたし、遠野くんとこうして話せたらいいなって、ずっと思ってた」  本当に、ずっと、ずっとそう思ってた。 「……なにいってるんだ。話なんていつでもできるよ」 「だめだよ。遠野くんには乾くんがいるから。それに、わたしは遠野くんみたいに なれないもの」  そう。遠野くんが普通の人とどこか違うことはわかってる。  そして、同じく普通じゃない乾くんのことを特別に思っていることも……。  けれど、わたしはどうすれば遠野くんみたいになれるかはわからないから。 「それじゃあ、わたしの家はこっちだから。また明日、学校で会おうね。ばいばい」  そういって、笑顔で手を振ってわたしは分かれ道を進む。  今日は本当にいい日だった。  けれど……、最後でわたしはやっぱり越えられない一線を自分自身で勝手に感じ てしまった。  お父さんは今日は会社に泊まるらしい。  お母さんはもう寝てしまった。  時間は……、11時15分。  丁度いいな、と思ってわたしは家を出る。  昼、遠野くんはああいってはいたけれど、火のないところに煙も立たない。  どうしても自分で確かめたかった。  それに、もし遠野くんが本当に夜出歩いてるなら、遠野くんが持ってる『何か』 について、わかるかもしれないから。  だから、わたしは繁華街に出ることにした。  街は、光りだけが灯るまるで機械の街のようだった。  明りだけはついているのに、外で歩いてる人は誰もいない。  きっと、みんな例の殺人鬼を恐れてのことだと思う。  繁華街を軽く一周したけれど、遠野くんの姿は見えなかった。  やっぱり、あの噂はデマだったんだろうか。  ……ふいに、裏路地へと入る道が目に入った。  何故か、妙にそこに心を惹かれた。  誰かいる……。  そう、感じた。  わたしは、殺人鬼のことを恐れるよりも、遠野くんへの興味は勝ってしまった。  大丈夫……。  今日は凄いハッピーデーなんだから、殺人鬼なんかに会うはずがない。  そう思ってわたしは裏路地へと歩を進める。  そちらに進む度に、闇が濃くなっていく。  何か、『普通でないモノ』に近づいている感覚があった。  後少しで、大通りからの死角になる、というまさにその時。 「弓塚じゃねえか。何やってんだよ、そんなところで」  クラスメートからの声がかかった。  時計を見ると、0時02分だった。  どうやら、ハッピーデーは終わってしまっていたらしい……。 「ほら、飲めよ。もう夏じゃねえんだぞ?」  ホットの缶コーヒーを渡したあと、公演のベンチにわたしと少し距離をとって横 に座って乾くんがそういった。 「ありがとう」  わたしは、コーヒーのタブを起しながらそういった。 「しかしなんだってこんな時間にあんなところにいるかね、お前も」  飽きれた声でそういう。 「そういう乾くんは?」 「俺はコンビニまでメシを買いにな。どうも冷蔵庫が空だったから」  ビニール袋からおにぎりを出して、それの包装をといていた。 「少し迷ったんだがね。今物騒だから。しかしまあ、空腹には勝てなかったわけだ。 ま、コンビニ行くぐらいなら問題ねーだろうし」  一つおにぎりを食べ終えて、乾くんは次、パンに手をかける。 「どうせ……、お前は遠野の噂の真相でも探りに来たんじゃねえのか?」  ドクン、と心臓が鳴った。 「図星かよ……。もう今になって遠野を思うな、とかはいわねえけどな。あんまり向 こう見ずすぎるのは考えものだぜ? 今日だって、あのまま裏路地いって、吸血鬼さ んとご対面なんてシャレにもならねえ」  吸血鬼というのは、例の殺人鬼のことを言ってるんだろう。 「乾くんにはわからないよ。私の気持ちは……」  遠野くん『側』にいる乾くんに、わたしの気持ちはわからない。 「お前中学時代俺がお前に言い寄ってたときのこと覚えてるか?」  ご飯は食べ終えたのか、コーヒーを飲みながら乾くんはそういった。 「うん。でもあれって、わたしの気を遠野くんから逸らすためにやってたんでしょう?」 「なんだよ……。わかってたのか」 「わかるよ、それぐらい」  中学2年の三学期になってから、乾くんはしばらくわたしにアプローチを続けた。  けれど、彼は特別わたしのことが好きというわけではなかったはずだ。 「でも、あれはお前のためを思ってでもあったんだぜ? こういっちゃなんだが、お 前みたいな奴と遠野は……」 「うん。わかってるよ。あわないっていうんでしょ? それぐらい、わたしもわかっ てるよ」  缶コーヒーを飲みきってしまったからか、10月の終わりの夜の風が冷たかった。 「まあ、俺が口を出すようなことじゃねえのはわかってるんだけどな」  そういって乾くんは缶を缶籠に投げる。  結構距離があったので、籠に当たることすらなく缶は夜の公園を転がった。 「じゃ、わたし帰るね」  そういって私は立ち上がった。 「送るか? この時間に女一人ってのは・・・・・・」  それは、純粋な厚意だということはわかる。けれど、これ以上乾くんと何を話して いいかわからなかった。 「いいよ。乾くんと一緒に帰るほうが危なそう」 「いってくれるねえ。ま、それじゃとっとと帰れよ。寄り道せずに。まだ遠野を探そ うなんてバカなこと考えるんじゃねえぞ?」  乾くんも立ち上がる。 「うん。眠くなってきたし、真っ直ぐ帰るよ」  そういって私は乾くんに背を向けた。 「おい、弓塚」 「何?」  振りかえらずに声だけを返す。 「中学時代のアプローチ。確かに遠野のこともあったけど、それだけじゃねえぜ?」  カーン  転がっていた缶を蹴る音 「そんなのとは無関係に、お前をいい女だとも思ったさ。でなきゃ、俺だってあんな に長くアタックしなかっただろうしな」  コロコロコロ  乾くんの蹴った空き缶が、円を描いてわたしの足元まで来、止まる。 「そう……」  わたしはそれを拾ってから、振り向かずに歩きだす。 「それじゃ、明日学校でな。もっとも、この時間になっちまったら、俺は二限安定だ が」 「うん。また明日、学校で……」  途中のカン籠に空き缶を捨てる。  ガン  カン籠の中に、一つビンが入っていたらしい。  やっぱりカンと違うビンは違う音を奏でる。  そんな当たりまえのことを考えながら、わたしは夜の公園を歩いた。 (注意) 作中において本編の会話を使っています。 演出の関係上行った事ですがもしタイプムーン様から抗議等があった場合変更を行う 場合があります。



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