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トリトマ〜永遠恋慕〜



2/或る境界
「来ないなあ、遠野くん」  もう七時二十分だった。6時四〇分にこの昨日別れた分かれ道の少し手前にきてから四〇分。遠 野くんは一向に現れない。  昨日は結局家に戻ったのは一時半だった。  思った以上に疲れていたのか、その後は倒れこむようにして眠ってしまった。  いつもより30分早く、目覚ましは6時になった。  遠野くんと一緒に登校するために、あの道の前で待つと決めていたのだ。  私は眠気を冷ますために、ザッとシャワーを浴びて、パンと目玉焼きのいつもの朝食を食べて家 を出た。そうして、ここについたのが四〇分前というわけだ。  家から学校までは歩いて30分ぐらい。  この分かれ道からは二十分といったところだろう。 「もう少しだけ、待ってみよう」  ホームルームにギリギリで駆け込むなんてことはしたくないから、七時半には学校に向かわなく ちゃ行けない。  遠野くん、あんまり遅刻はしないほうだけれど、特別早く来ることもなかった。  そう考えれば、この時間にまだここに来ないのも当然かもしれない。  キーンコーンカーンコーン  近くの小学校のチャイムがなった。七時半になってしまったらしい。  仕方ない。遅れるわけにも行かないので、私は学校に向かって歩き出す。  もしかして、遠野くんはもう学校についているんだろうか?  けれど私が待っていた時間よりも早く分かれ道を通りすぎたのだとしたら、学校には七時につく 計算になる。  1時間も前に学校につく必要があるような用事があるとも思えなかった。  遠野さんのお屋敷でまさか何かあったんだろうか?  それで今日はお休みとか。  大通りを歩く。  道という道にはスーツを着こんだサラリーマンが歩いている。  けれど、どこか沈んで見える。  やはり例の殺人鬼のせいだろうか。  もしかすると昨日あそこで乾くんに止められていなければ、私は大変なことになっていたかもし れない。 「あれ、弓塚さんじゃないか」  大通りを抜けて学校まで後10分というところで、後ろから声をかけられる。  ――――遠野くんだ。  焦らないように気をつけて、私は後ろを振り返った。 「あ、遠野くん。おはよう」 「おはよう、弓塚さん。奇遇だね」  そういって彼は笑った。  本当に私はどうかしていたのかもしれない。  昨日まで話せなかった人と、こうして普通に挨拶することができる。  これだけで今は十分だった。  乾くんの言う通りだったかもしれない。私は、少し焦りすぎだ。 「奇遇ってこともないんじゃないかな。今日から通学路は一緒なんだし」 「考えてみればそうか。それじゃ、これからも一緒になるかもしれないな」  今の言葉も、遠野くんにしてみれば何てことない言葉。  けれど、その一言で私は幸せになってしまう。 「あれ? 遠野くんもしかして走ってきた?」  本当にかすかに流れていた額の汗を見てそう言った。 「良くわかったね。俺別に息切れとかしてなかったと思うけど」 「うん。してないよ。いや、さっきまで周りに誰もうちの学生がいないと思ったのに、いきなり声 をかけられたから、それでもしかしてって思ったんだ」  マジマジと遠野くんを見ていたなんてばれてしまったら恥ずかしいなんてものじゃない。  だから私はそう言った。 「なるほど。まあ、そういうこと。まだどれぐらいかかるのかとか良くわかってないからね。明日 あらはもう少し早く家を出るようにしないと」 「でも、まだ10分くらい余裕あるよ?」  もうすぐ校門が見えるというところで、時計は四三分を指していた。 「ホームルームの直前で駆け込むなんてことはしたくないからね。少しぐらいは余裕を持たせない と」  校門が見えてきて、別の道から来る学生などが多く見える。  遠野くんと一緒に登校できるのは凄く嬉しいけれど、私は少しだけ恥ずかしかった。 「弓塚さんにしては、ちょっと遅いよね。この時間」 「え、なんで?」 「いや、だって俺が学校に着くときにはいつもいるじゃないか」  ―――――見ててくれたのかのかな。  教室の中という一つの景色にすぎなくても、遠野くんは私の存在を捉えていてくれたんだろうか? 「まあ、そんなことはいいか。ごめん。別に遅刻しそうな時間でもないんだし、遅いなんていう必 要なかったね」  そういって遠野くんは苦笑した。 「そ、そんなことないよ! 私凄く嬉しかったから!!」 「そ、そうなの?」  言ってしまってからハッ! となる。  今の言葉で普通の人は嬉しく思ったりはしないはずだ。 「な、何でもないの! あ、私ちょっと用事思い出したから先に行くね」  言って返事も待たずに校門を抜け、昇降口に走りこむ。  うわぁぁん。私のバカバカバカ!  絶対変な人だと思われちゃった。  そう思うところと別のところで、それでも私は嬉しかった。  遠野くんと一緒に登校できたことが。  彼が景色としてだとしても、私を見ていてくれたことが。  教室に入ると、シエル先輩と乾くんが遠野くんの席で話しているようだった。  なんで遠野くんがいないのに、遠野くんの席で話すんだろう。  それに、上級生がどうして下級生のクラスに……。  頭の中で少しだけ、ピリッという感覚。  でも、別に変なことでもないか。  シエル先輩がこのクラスにいたって。  そんなことを考えていたら、遠野くんが教室に入ってきた。  彼は席について、二人と話しをはじめる。  一体なんの話しをしているんだろう……。 「ははははは! なんだ、元気がないようなフリしやがって、根はいつも通りの遠野じゃないか!っ たく、心配して損したぜ!」  急に乾くんが大きな声で笑い出し、遠野くんの背中を叩く。  ――――その時の遠野くんの、不思議な表情。  まだ私には届かない。  それでも、きっといつかは。  そう思って私は視線を机に向ける。  もう見ていたくはなかった。これが嫉妬であるとしても。 「よう弓塚。ちゃんと来たみたいだな」  昼休み、私がいつものように昼食の準備をしていると、乾くんが声をかけてきた。 「乾くんこそ。二限安定だとか言ってなかった?」 「まあな。その、色々あってな」  シエル先輩のことだろうか。 「まあ、そんなことはどうでもいいやな」 「うん。それで、何か用?」 「たいしたことじゃない。メシは学食で食わないか? お前のオゴリで」 「はい?」  一体乾くんは何を言ってるんだろう。 「なんでわたしが乾くんにオゴルことになるの?」 「いや、昨日の缶コーヒーが良くなかった。丁度財産が尽きたのだ」 「でも、なんで私が……。それに、わたしお弁当も持ってるし」 「何やってるんだ、有彦。おいていくぞ」  その時、遠野くんの声が教室のドアからかかった。  遠野くんも、学食に行くんだろうか。 「と、いうわけだ。かけそばでいいからよ。頼むわ」 「わたしと遠野くんをくっつけたくないんじゃなかったっけ?」  私は溜息をついてから、お弁当箱を仕舞って立ちあがる。 「昨日も言っただろ? 空腹にはどんなことも勝てないんだ。―――それに」 「それに?」 「お前が遠野の気をひけば、俺がシエル先輩を落とせる確立もあがるってもんだ」  そういってニヤリと笑う乾くんが妙におかしかった。 「先に行くからな!」  言って遠野くんは教室を出て言ってしまう。 「でも、本当にどうしてまた急に?」  わたしはどうしても納得がいかなかった。乾くんの性格からすれば、遠野くんのためにならない ことは何があってもしたりはしない。 「遠野はお前に気づいた。おまえも中学時代の話しをしたみたいだし。これ以上お前にムチャをや られるわけにもいかない。それに、俺ができるのは忠告だけだ。結局はあいつが決めることなんだ からな」  本当に敵わない。悔しいけど、そう思ってしまう。 「もう、乾くんには敵わないなあ」 「俺に勝とうと思ってるなら、そりゃ間違いだぜ?」 「え?」 「お前の相手は先輩だ」  そういって笑いながら彼は走って遠野くんを追いかけた。  本当にどこからどこまでが冗談かわからない人だと思う。 「珍しいね、弓塚さんが学食なんて」 「お前が悪いのだ遠野。お前が俺に奢らないからこういうことになる」  混み合う学食の中になんとか三つの席を見つけて私たちはおのおのの食事を食べていた。 「なんで俺がお前に奢らないといけないんだよ。そもそも、どうしてそれで弓塚さんが出てくるん だ」 「弓塚と中学が一緒という話しは知ってるだろ? 中学時代に俺があるとき飲み物をくれてやった のだ。自販機が故障して立ってるところを見かけてな。まあ、それも職員室からかっぱらったお茶 なわけだが」 「お前、そんなことで……。ごめんね、弓塚さん。こいつがバカで」 「ううん。いいよ。私もたまには学食で食べたいなあ、と思ってたし」  乾くんのことを遠野くんが謝る。なんというか、二人の関係が良く伺えた。 「八人目の被害者か……」  遠野くんがポツリと呟いた。  その右手にはきつねうどんのお揚げが箸で持たれていて、なんだか少しおかしい。 「物騒だな、最近。八人も被害者が出てるのに手がかりがないってのもぞっとしないし」 「そういえば、今日ニュースで遠野さんのお屋敷が映ってなかった?」 「ああ、それは多分家だな。警察とかに事情を聞かれたって言ってたし」 「何かあったの!?」 「さあ。俺も詳しいことは知らないんだ。新しい家にはテレビもないしね。――――ところで弓塚 さん。うどん食べたら? のびちゃうよ?」  そこでようやく私はまだ月見うどんに手すらかけてないことに気がついた。  5時間目、普段と特に変わらない古典の授業中、わたしは少し退屈になって窓に目を向ける遠野 くんを見る。  どこかボウっとした感じ。  やっぱりつまらないよね、古典の授業。  心の中でそんな声をかける。  遠野くんの身体が少しだけ揺らいだ。  ダメ! 遠野くんが倒れてしまう!  足に力を込めて、恥ずかしいという感情すらなく私は立ちあがろうとする。 「先生、ちょっといいっすか」  乾くんが遠野くんの背中に触れながらそう言っていた。 「遠野のヤツ、調子が悪そうなんで保健室に連れていきたいんですけど」 「――――有彦」  ―――また、か。  遠野くんは倒れなかった。それを喜ばなくてはいけないのに、わたしはそう思ってしまう。 「遠野、本当に具合が悪いのか?」 「いえ、なんとか大丈夫―――」 「あー、ぜんっぜんダメだそうです。こりゃあ早退させた方がいいんじゃないっすか?」  私もそう思う。  遠野くんの顔は遠めに見ても青白かった。  ――――どうして私があそこにいないのか。  自分が本当に何の役にも立たない存在だと思ってしまう。 「そうか。乾がそう言うんじゃ間違いないな。先生も遠野の体のことは国藤先生から聞いている。 遠野。体調が優れないなら保健室で休むか早退していいんだぞ」 「ほら、帰っていいとよ。そんな青い顔しやがって、まずいと思ったらすぐにまずいって言わねえ とわからねえだろうが」  人の目を気にせずに、ただただ遠野くんのために行動している。  彼にそんな感覚はないのかもしれないけれど、それは本当に凄いことだ。 「……それじゃあ早退させてもらいます、先生」  そう言って遠野くんはカバンを持つ。 「……悪い、有彦。いらない心配をかけさせた」 「気にすんな。中学からの腐れ縁だからな、おまえが貧血でぶっ倒れそうな雰囲気ってのはすぐに わかんだよ」  私にだって、わかる。けれど、その役はいつでも乾くんのものだった。  ガラリ  扉を開けて遠野くんが教室を出て行く。  追えない。  追いかけても何もできないし、私にはそんな傍から見れば奇異な行動を取れるわけもなかった。  遠野くんの机の上をかたづけてから、乾くんは自分の席に座る。  周りからの視線も気にせずに。  いつもは全くマジメに授業を受けない乾くんが、その後はマジメにノートを取っていた。  ――――それは、やはり遠野くんのためなんだろう。  授業が終わり、私は繁華街に出た。  特別目的があったわけじゃない。  ただ、昨日見た裏路地がどうしても気になっただけ。  この時間なら問題ない。  そう思った。 「この時間に殺人鬼もないよね」  そう自分に言い聞かせ、わたしは裏路地へ入っていく。  道は一度右に折れ、その向こうが行き止まりだった。  なんということはない。普通の行き止まり。  そこに――――――彼が倒れていたという以外は。  声も出ない。  身体も動いてくれない。  一瞬、私の心がフリーズする。  倒れている遠野くん。  そして――――血に塗れた両の手。 「遠野くん!!」  ようやく私の身体が動くようになる。  すぐに私は近寄って、遠野くんの傍に膝をつく。  ―――見ればズボンの膝から下も血に染まっているようだった。  顔はこれでもかというほどに青ざめ、口には嘔吐をした後が残っていた。  これは不味い。  私はそう思い繁華街へと駆け出した。  ――――お願い、見つからないで!  そう願い、手ごろな服屋に入る。  Tシャツと安いズボン。それとタオルを買ってすぐに裏路地へ舞い戻る。  ――――良かった。  誰もいない。  遠野くんも、私の荷物も動いていない。  私はすぐに遠野くんの服を脱がせにかかった。  『恥ずかしい』なんて感情はこれっぽちも浮かばなかった。  ともかく、今は遠野くんのピンチなんだと思った。  それなら、今度は私が助けないといけない。  学生服とYシャツを脱がせ終わり、血を丁寧にふき取る。  遠野くんが着ていた服は綺麗に折りたたみ、洋服屋の紙袋にいれた。  ―――本当、今日は大きなバッグできていて良かった。  二つのバッグを私は使っている。  理由は特になく、気分でどちらかは決めていた。  今日のはそこまで大きくないにしろ、小さい方と違ってうまくたためばなんとか入りそうなぐら いの大きさはあった。  私は中の教科書やノートを全てだし、それは遠野くんのカバンに入れた。  ――――不思議  なんだって、こんなに頭が冴えているんだろう。  こんなことがあっても戸惑うこともない。  遠野くんに何があったのか?  遠野くんが何かをしたのか?  そんなことすら考えない。  ただただ、私は行動していた。  遠野くんを、わたしが助けている。  そう思うだけで満足だった。  だって、理由はなんにしろこのままここにいさせるわけにもいかなかったし、血がついていたっ ていうことは、きっと厄介なことになるに決まってるから。  準備を全て終えて、私は二つのカバンをつまれていたゴミの死角に隠す。  遠野くんの身体をなんとか抱える。俗に言うお姫さまだっこというものだ。  背中に担ぐと遠野くんの足をひきづってしまうし、意識がないからおぶるのも遠野くんが落ちて しまいそうで怖かった。  私はゆっくりと裏路地から抜け出す。  ――――とりあえず、家につれていこう。今は父も母もいないはずだ。  それにしても、重い。  遠野くんは男子では大きいほうではない。  単に、私の力が足りないだけ。  幸運にも、人はそんなに多くなかった。  このまま目立たない道を進んでいけば、そう人の目にはつかないだろう。  そう思った矢先、私の前に影が見えた。  ――――見つかった!? 「おいおい。弓塚! 遠野の奴一体どうしたんだ?」  ――――乾くん。 「そこで倒れてたの。とにかくどこかに運ばないとって思って」 「バカ! どっかに電話すりゃ良かったものを」 「ダメ!!」  私は大声で叫んでいた。  乾くんが私の目を見る。 「―――わかった。とりあえず俺の家まで運ぼう。お前じゃ辛いだろ、貸せ」  私は遠野くんを乾くんになんとか手渡す。  やっぱり……、最後には彼にとられてしまうんだろうか?  こんな状況ですら、私はそんなことを考える。 「とりあえず家に連れてくから。ついてこいよ」  乾くんはそういって繁華街とは逆の道へ歩き出す。  彼の姿が見えなくなった瞬間、私はすぐに裏路地へ戻り二つの荷物を手にとった。  できるだけ早く、またさっきの場所に戻る。  戻った直後、乾くんが曲がり道から顔を出した。 「おい、弓塚何やってんだよ?」 「うん、ちょっと荷物をね」  『そうか』と言って乾くんは顔を引っ込める。今度は、私もちゃんとその後を追った。  しばらく乾くんのヘヤにいると、割烹着を着た人がやってきて遠野くんを車に乗せて帰っていった。  乾くんは何も言わない。  何も聞かない。  遠野くんがいなくなっても、私はなんとなく帰らなかった。  ここにいたいというわけじゃない。ただ、どこか動きがたい空気があった。 「こうだけは、したくなかったのにな」  乾くんがポツリと呟いた。 「え?」 「お前を遠野側にだけはさせたくなかったんだが」  言って乾くんは煙草に火をつけた。  彼が煙草を吸うことは知らなかった。 「………」  ―――遠野くん側。  喜ぶべきだ。  ずっと私はそうなりたかった。  ずっと私はそれを望んだ。  けれど、どうしてだろうか。  不安で、切なくて―――涙が零れた。  窓の閉められた部屋に、煙草の煙が昇っていく。  上のほうで溜まって、白いモヤを描いていた。  乾くんが煙草をもみ消して、しばらくしてモヤは消えた。  けれど新しい煙草に火がついて、新しいモヤはまたすぐに立ちこめた。



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