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Less ultimight



第1章 空の箱
 部屋に転がる同じ顔をしたいくつもの人形。  制服姿、私服姿、体操着姿、裸。 ―――違う、どれも違う―――  人形は一つ一つ音を立てて消える。  息をする、暖かい、心臓の鼓動を感じる人形。  消えた人形とはまた別の人形がどこからともなくあらわれる。 −信也、好きだよ−  息をする、暖かい、心臓の鼓動を感じるほど密着した人形が俺に話しかける。 −信也、大好き− −信也、一緒に学校行こう− −信也……− −信也−  ・  ・  ・  次々と増える人形。俺はどうしても許せなくて。その暖かさと、その顔が許せなくて一つ一つま た人形を壊す。  イキヲスル、アタタカイ、シンゾウノコドウヲカンジル、ハナシカケテクル、ニンギョウヲ――― ソウ、ニンギョウヲコワス。  それでもまた俺はひどく寂しくなって、また人形を創る。そして犯す。そして壊す。何度繰り返 しただろう。 −麻美−  ぽつりとつぶやく。 −ああ、信也気持ちいいよぉ−  俺が犯している人形がそういう。 パラッ  軽い音を残してその人形は消える。 −お前じゃない! お前なんかが麻美なものか! 麻美は! 麻美は……−  それでも俺は……、今日もまた人形を創る。 「ほら! 早く起きなさいよ!」 「うーん、後5分」 「バカなこと言ってないで、さっさと学校行くよ」  結局いつものように俺は幼馴染で恋人の神崎麻美に引っ張られて学校まで行く。  通学路、他愛ない会話。  それでも、俺はこいつが大好きなんだと改めて思う。けれど……。 「なあ、今度お前の部屋行ってもいいか?」 「―――え?」 「付き合いだしてからまだ1度としてお前の家って行ったことないし」 「うん――――けど、わたしの家って、ほら」 「お前の家が特別なのは分かってるよ。信じられねえレベルのお嬢様だもんな。でも、1度ぐらい 問題ないだろ? 久しぶりに見たいっていうのもあるし」 「変わってないよ、何も」 「お袋さんにも久しぶりに会いたいんだけどな」 「――――」 「ん、どうした?」 「やめて――――もう、家の話しはしないで」 「ん? どうしたよ。お前なんか変だぞ?」 「いいから!」 「――――何か悩みがあるならいえよ。相談に乗ってやるから」 「いいの」 「いいのじゃねえよ、お前絶対変だって」 「わたしが変なことぐらい……」 「は? 何か言ったか?」 「何でもない」 「そうかよ……。じゃ、もういいぜ」 「ねえ信也。わたし生きてる意味、あるのかな?」 「なんだよ、いきなり」 「わたしなんて……」 「そう思うなら一回死んじまったらどうだよ。お前はそんな奴じゃねえだろ、しっかりしろ!!」 「――――そうだね。わたしが死ねば」 「あーもう! 何悩んでるんだよ。そう簡単に死ねるわけないだろうが!」  この時、苛立ちという感情が膨れ上がっていたのは事実だった。 「けど、ダメなんだよ」  けれど 「ダメって何が!!」  けどさ 「わたしが、死んでしまえばいい」  こんなことに 「そんなに死にてえなら俺が殺してやるよ。だからお前が勝手に死のうとなんかするんじゃねえ。 そんなんじゃ今すぐにでも車にでも轢かれちまうぞ」  こんなことになるなんて思わなかったんだ。 「うわあああああああああああああああああああああ!!」  最悪の気分の中俺は目覚める。  いつもと同じ夢。俺が見るようにしくんでいる夢。  俺はあの日を忘れないため、今日もこの夢を見る。  家には誰もいない。5LDKのマンションに1人暮しなど本来ありえないことだ。  しかしあの事件以来、どうしても1人になりたかった。両親と妹には悪いがちょこっと記憶と かを操ってオヤジの会社の都合で海外に出てもらってる。  しかし着替えるのも怠惰だ。 ―制服に―  そう念じた途端俺の服装は寝巻きから制服にすぐ変わる。  悪い癖だな。この力を嫌っていながらつい便利だと使ってしまう。 「おはよう、信也」  人形が俺に話しかける。昨日の夜最後に寝た、最後に創った人形。 ―――壊し忘れていたか。  あの夢を自分でみるようにセットしているにもかかわらずあの夢を見ておきた俺の朝の気分は 最悪だ。 ―消えろ! 人形―  そう念じ目の前の不愉快な人形を後型もなく消す。  あれからもう2週間。大分自分の身におきたことも整理がついてきている。  俺は何でも念じたことが起こってしまう。  まだ全てのことを試したわけではないのではっきりと言いきれないが、ただ1つのことを除い て今まで念じてきたことは全て実際に起こる。  それは金を出すとか、制服に着替えるとかそういうことだけでなくて、人の精神に及ぶまで――― そう、家族を外国に行かせることのような。  ただ―――ただ一つのことだけは、何度、何百回、何千回念じても実現しなかった。  死んだ者を生き返らせる。  そう俺は人を生き返らせることだけが出来ない。  どうやっても。  1日中念じても。1日中祈っても。  ただその一点だけが叶わない。  色々と試した。出来る限りのことを試しつくした。  他の人間に―人を生き返らせられる能力を与えるように念じてそいつに生きかえらせるように 念じたりもしたが駄目だった。  念じても祈っても――――麻美は帰っては来なかった。  つい一月前までは麻美と一緒に歩いていた通学路を1人で歩く。今日は見事なまでの五月晴れ だ。正直、学校なんかもう行かなくても良かった。人の記憶だって好きに操れるし、生きて行く のにこの力があれば何の不自由もない。それでも今は何をしていいのかわからなかった。ただ麻 美と暮らしていた日々を大きく変えるのがイヤで、同じような生活を繰り返しているにすぎない。  それと、非日常的な力を持ったりそんな状況に追いやられれば追いやられるほど、人間という のはくだらない日常を求めるものだと思う。 「おはようございます。信也さん」  俺が今もっとも聞きたくて、そしてもっとも聞きたくない声で挨拶される。 「おはよう、かなえちゃん」  麻美の妹である、日下部かなえちゃん。顔はあまり似ていないのだけれどさっぱりした性格や 声がとても似ていると思う。しかしそのさっぱりした性格も、明るい声も、今はかけらも見るこ とができない。  そう、全ては俺のせいで。  麻美は――――あの直後に車に轢かれて死んだ。  生気を失ったかのようにバタリと倒れ、丁度そこを通った車に轢かれた。  普通に見ればただの事故。  轢いてしまった運転手も、当然俺も、世間的にはなんの咎めもない。  ただ俺だけが知っている。  麻美を殺したのが、俺だということに。 「元気、出してください。先輩」  本来なら家族である彼女は他人である俺に一方的に悲しみをぶつけてきてもいいはずだ。それ をしないのは彼女が俺と麻美が付き合っていたことを知っているからに他ならない。  姉の彼氏の手前、自分だけ悲しい顔をするわけにもいかないのだろう。 「ありがとう」  麻美の記憶を彼女から、世間から消すことはたやすい。おそらくそう念じるだけで神崎麻美と いう存在はこの世から消えてしまうのだろう。  けれども俺はそうはしない。目の前の少女が苦しんでいることがわかってもそうはしない。俺 はどうしても、日下部麻美という存在をこの世に残しておいて、感じていたいと思っているから。 たとえそれが自分勝手なワガママだとしても。 「あー、そういえば信也さん! 駅前にクレープ屋できたんですよ! おいしいって評判なんで す。ねー、今日あたり行きましょうよ!」  明るい声でかなえちゃんがそう言う。そう、本当はこういう子なんだ。麻美に良く似て。  そういえば彼女、俺と麻美が付き合っている時から俺を引っ張りまわそうとしてよく麻美にど やされてたっけ。 「あー、信也さん。何にやけてるんですか? OKのサインってとっていいんですか?」  にやける? ああ、そうか。自分でも気付かないうちに少し笑っていたらしい。それこそ、多 分二周間ぶりに。 「ああ、OK,付き合おう。それと今日は奢るからスキなだけ食べていいよ」  途端彼女の明るい顔が更に明るくなる。 「本当ですか!? 何にしよっかな。うーん。三個くらいはいけるかなー」 「おいおい、手加減してくれよ?」 「いーえ、1回いったからにはきちんとはたしてもらいますからね?」  まあそんなことを言っておきながら実際金なんていくらでもつくれるんだから問題はないんだ が。  彼女が笑ってくれると嬉しかった。  例えそれが仮初か、なにかに耐えるための笑顔だとしても。 「やぁ、信也にかなえちゃん。随分にぎやかだね?」 「あ、アオちゃん。おはよう」 「おはよう、葵」  この少し、というか男にしては結構小柄な優男は設楽葵。こんな男とも女ともとれる名前のせ いで優男になったんじゃないかとも思うが、両親に悪いので口にはださない―――というか葵の 両親は随分前に他界している。今は親戚の家、というか、麻美とかなみちゃんの家にやっかいに なってるはずだ。俺とは小学校からの、こいつも麻美と同じ幼馴染。けれど俺と二人が知り合っ たのは小学校からに対し葵と麻美は家族ぐるみの付き合いでうまれた時かららしい。  よってかなえちゃんもかなり小さい頃からの付き合いらしく、なんだかんだいって礼儀正しい 彼女も葵にはアオちゃんとか呼ぶ上タメ口だ。 「えーっとね、信也さんがね今日クレープおごってくれるって言ったの。一緒にいけるだけでも 嬉しいのにいくらでも食べていいなんて言ってくれるなんてもう天にも登る思いだよ」 「そっか、それは良かったね」  しかし本当にのんびりしてるな、こいつは。 「でもかなえちゃん、食べ過ぎてふとっちゃっても俺は責任とらないよ?」 「大丈夫ですよ。私食べても太らない体質なんです」  そういや麻美にもそんなこと聞いた覚えがある。遺伝だろうか。女の子からすればかなりあり がたい遺伝であろう。 「ふーん。それはいいね。今月金欠だし、僕も便乗させてもらおうかな?」 「おい」  まあ別に金はいくらでもある、っていうか作れるからいいっちゃいいけど。 「いいねー、二人で信也さんの財布の中身を食べ尽くしちゃおう!」 「じゃー、そういうことでよろしくね、信也」  少し不満に思うところもあったが、人とこんな風に普通に話せたのは、本当に、本当に久しぶ りな気がして。 「わかった。けど1つ貸しだからな」  それ以上なにもいわなかった。 「あー、もうついちゃった。こんなに楽しい登校久しぶり。明日も一緒にこれるといいね」  ドクン  そんな凄く素直な声を聞いて、俺はもう、麻美のことを忘れさせてもいいんじゃないかと思っ た。 「それじゃ、ここでお別れだね、かなえちゃん。行こうか、信也」 「ああ」  あまり気の入っていないない返事をする。 「大丈夫?具合でも悪いの?」 「そう見えるか?」 「うーん、どうだろうね? ただもう何年も信也を見てるからね。あれ、ちょっと気配が変わっ たかなって」  そういやこいつは昔から妙に鋭いところがあった。 「たいしたことじゃあない。ほれ、教室いくぞ?」  言って俺は歩き出す。 「あ、待ってよ」  後ろに葵がついてくる。ただそれだけのことなのに。後ろから誰かが当たり前のように追いか けてきてくれるのが、今はやたら嬉しかった。  つまらない、くだらない授業。  聞いてもいないし黒板を見ることもない。ただボーっとしているだけ。  しかし、人間っていうのは本当に薄情なものだと思う。二周間前以来この教室からは机が1つ 減った。  当然といえば当然だし、死んでしまった人間への思いを引きずるのは良くないんだろうけど、 俺はどうしてもそれに不快感を感じてしまう。 「それじゃあ次の問題を、坂口、といてみろ」  頭の薄い親父が何かを話している。  しかし俺には関係ない。 「おい、坂口、坂口信也! 聞いてるのか!?」  うるさいオヤジだ。俺はイスから立ちあがる。 「聞いてませんでした」  そうとだけ言ってまたガタンと座る。 「坂口、貴様ふざけとるのか! 大体お前ここのところたるんどるじゃないか!」  オヤジの説教は続く。うるさいがほうっておく。気にするな、と念じるだけでことたりるのだ がそれすらも億劫だしこの耳障りなサウンドがある種、昔の日常を思い出させて変な話心地よく もあった、が――― 「聞いてるぞ。お前神崎と付き合ってたんだってな?あいつがいなくなったからか?急に不真面 目になったのは。大体学生ともあろうものが色恋沙汰に…」  そこでそいつの声は止まる。音もなく、一瞬の内に俺がそいつの目の前に移動し、背の低いそ のオヤジを殺すような視線でみつめたから。 「な、なんだ? 何か文句あるのか? 私は教師だぞ。大体お前が授業を聞いていないから……」  目の前の虫けらが何かをほざいている。いい加減こいつの声も耳障りだ。本当に殺すか? ―ホ・ン・ト・ウ・ニ・コ・ロ……― 「待って下さい!」  葵の凛とした声が教室に響き、俺は正気に戻った。 「今の発言は先生にも非があると思います。死んでしまった生徒を引き合いに出すなんて。です が当然授業を聞いてなかった信也にも責任がある。そういうことでここはお互い鉾を収めてはも らえませんでしょうか?」  キーンコーンカーンコーン  それを見計らったかのようにチャイムがなる。 「ふ、ふん。今日の授業はこれまで。失礼する!」  言ってオヤジは消えていく。 ―――危ない。  俺はまた殺すところだった。あれから、麻美を殺してしまってから俺はどんなゴミのような人 間も殺すことだけはしないようにしてきた。それはどんな人間であろうと死というものの重みが 今の俺には恐ろしい程にわかってしまうから。 「悪い、助かったよ葵」 「ううん。信也の気持ちは凄く良くわかるよ。正直僕も後少しであのクソオヤジを殴ってしまっ ていたかもしれない」  ふとそういう葵の目が赤く光った気がした。それにしてもこいつがそんなこというなんて、こ いつも余程さっきのことが頭に来たのだろう。こいつも麻美を好きだったはずだ。それは幼馴染 としてか、俺達がつきあっていたからかくしていただけで本当は男女として好きだったのかはわ からないけれど。葵の心を少し覗こうと思うだけでそれは簡単にわかることだけど、人を殺して しまった最低な俺でも、友人の心を覗くような外道にはなりたくない。しかしその葵の気持ちを を思うと、本当にこいつには悪いことをしたと思う。後悔と謝罪の念でつぶされそうだ。 「麻美はきっと、もういない」  ふと、葵がそんなことを言った。 「そうだな」 「残念だけど、このまま麻美のことをひきずっていたら、それこそ麻美にこのバカ!って怒られ そうじゃない?」 「かも、しれないな」  葵は、ただ俺を元気付けたいだけみたいだ。昔からの付き合いで良くわかる。本当は麻美のこ とを忘れられるはずがない。忘れたくないし、帰ってきて欲しいに決まってる。けど、麻美を殺 してからの二周間。あまりにも俺は『死んでいた』。それまでも明るい、といえるような性格で はなかったかもしれないが、それでも今の俺から比べればそれこそサーカスのピエロより明るく 見えるだろう。 「まあそれでも、麻美のことを忘れるなんてとてもできやしないけどね。それでも麻美に笑われ ないように今を生きないと。振り返ることを麻美はやたら嫌ってたし」 「そうだな。―――すまない。本当はお前だって苦しいだろうに」 「ううん。信也の苦しみに比べれば、きっとなんてことないよ」  俺の目を見て葵は言う。  確かにそうかもしれない。自業自得ではあるけれど俺は誰よりも苦しんでいるだろう。 「サンキュな。それより、飯にしないか? 正直腹が減ってしょうがない」  正直それほど食欲があるわけじゃないが、今は少しでもこの重い空気を軽くしたかった。 「そうだね、でも……」  いって葵は時計をみる。十二時三十分。休み時間に入ってから十五分も経過している。今から 購買に行ってもろくなものは買えないだろう。仕方ない。またこの力に頼るとするか。 「それなら心配ない。ちょっと待ってろ」  俺は自分の鞄に手を入れて ―カツサンドに梅干とシーチキンのにぎり飯を二つ―  手にズシっと重さが加わる。 「ほら、今日はコンビニでかってきたんだ。それに今一人で暮らしてるって話したろ? 晩飯の 分も買っといて量があるんだ。とりあえずこれを食おう」  言ってとりあえずにぎり飯を二つ投げる。 「……」  見ると葵はやたらと恐い目をして握り飯を見ている。正直、少し背筋が寒くなるような赤い、 紅い瞳。俺の心の、精神の中に入り込んでくるかのような鋭い視線。それは決して俺に向けれた ものでなく、ただ握り飯に向けられているだけなのにその視線は俺に、俺の心にささるようだっ た。 ―――いや、何を言っているんだ。葵の目は普段と変わりはしない。  目の錯覚か? 「ど、どうした? 何か問題あるか? それはおごりだから遠慮しなくていいぞ?」  そういうと葵は鋭い視線を…、というか潤んだ視線をこっちに向ける。 「信也……、僕梅干食べられないよぉ」  と情けない声をあげる。  …おぃ。 「あー、わかったわかった。そういやそうだったな。ほら、カツサンド食え」 「わーい!ありがとう、信也」  途端に笑顔になる葵。しかし、あの感覚。まるで心臓を絶対零度の針で少しずつ刺していくか のような視線を感じたのはなんだったんだろうか?  正直―――殺されるかと思った。 「おいしい。あれ? 信也は食べないの?」 「あ、ああ。食べる食べる」  言って俺は梅干にぎりの包みを解く。  いや、何も考えまい。今はこの気を許せる友人との食事を大切にしよう 「もう! 邪魔だって言ってるでしょ。どきなさいよ!」  教室に怒声が響き渡る。 「ご、ごめんなさい」  言って眼鏡をかけた、小柄ないかにも文学少女といった女子が席を立つ。そしてなだれこむよ うに何人かの女子がその回りの席を確保していきその小柄な女子は追い出される。購買から帰っ てきた連中が席がなくて無理やりどかせたんだろう。最近よく見かける光景だ。 「最近多いな、ああいうの。麻美がいた時はなかったのに」  俺が梅干にぎりをかじりながら葵にぼやく。 「そうだね。なんだかんだで麻美はクラスの中心やってたから」  麻美がいた時はクラスみんな仲良く、とまではいかないまでも特に何の問題も起こらない温和 なクラスであったのが、最近は変わってきている。 「いつも対象は彼女だな。えーと、なんて言ったっけ。あのちっこい子」 「雪白このはさんだよ。酷いな信也。クラスメートの名前も覚えてないのかい?」 「うーん。正直女子の名前は殆ど」  正直四月にクラス替えがあって四月の終わりに麻美の一件があって以来他のことに気を回す余 裕なんてないに等しかったから、女子は愚か男子の名前も怪しい。 「でもちょっとかわいそうだよね。雪白さん、口下手そうだから」 「そうだな」  確かにさっきの雪白さんを無理やりどかせたやつらは気に食わなかったし、彼女が窓際の一番 前で1人で食べてるのに女子が誰も声をかけないのも気に食わない。  俺はちょっとしたきまぐれか、少しでも麻美のいた時から自分自身の時計を進めようと思った のか、ふと彼女に声をかけてみようと思った。 「葵、雪白さんに声かけてみていいか?」 「こりゃ、驚いた! 信也がそんな人助けみたいなことするなんて。けど何でわざわざ僕に聞く の?」 「俺一人じゃ確実に会話が詰まる。後のことはお前に任せる」 「あはは……。まーいいよ。信也にしてはめずらしい。ただ最初に話しかけるのは信也ね。それ にしてもどうかしたの? 彼女の名前すらしらなかったんでしょ?」 「ちょっとな」  ちょっと1人で弁当を寂しく食ってる背中が、今の沈んだ自分の気持ちと妙に重なって気分が 悪いだけだ。 「それに彼女と麻美、結構仲良かっただろ?」 「そういえば結構良く話してたね。うーん1年の時も同じクラスだったみたいだし確かに。麻美 がいなくなったからいじめられるようになったってのは目覚め悪いかな、一幼馴染としては」 「だろ?」 「だね」 「よし、いくぞ」  いって俺は残りのシーチキンにぎりを口に放りこむ。 「なんか随分気合入ってるね」  クスクス、と笑いながら葵がついてくる。 「ここ、いいか?」 「!?」  俺が話しかけると雪白さんはビクッとやたら驚いたそぶりでこっちを見返す。 「あー、俺同じクラスの坂口信也だ。ちょっと話さないか?」  プッ、っと後ろで噴出す声が聞こえる。 「あーはっはっは! 信也、信也じゃないんだから名前ぐらい知ってるよ! 大体自分のクラス で話しかけるのに同じクラスの、なんて言わないでしょ、普通。しかもちょっと話さないかって なんだよー! ナンパかどっかの取り調べ? あはははは!」 「う、うるさいな葵。じゃあ、お前が話せ!」 「いーや、これは信也がいいだしたことだから僕は観戦しとくよ、あはは」 「全く腹の立つやつだな! 大体おまえは昔から……」  クスッ、と正面から笑い声が聞こえた。 「仲がいいんですね、坂口君に佐藤君」 「あ、ああ、まあな。古い付き合いだし。ほら、雪白さん、麻見、神崎と仲良かったろ?あいつ いなくなって、その、なんて言うか、ちょっと寂しそうに見えたから話しかけてみたんだ」  なんというか、女子と話すのは苦手だ。  麻美とかなみちゃん以外とはほとんど話すことはなかったし。 「うわー、臭い台詞吐くね、信也」 「うるさい! お前は黙ってろ。まあ麻美とは俺達付き合い古いし、今の雪白さんみたらあいつ も悲しむんじゃないかって」  と、いうよりも正直彼女にとってどうやらうちのクラス唯一の友人であった麻見を俺が奪って しまったことに対する謝罪の部分が大きかった。 「あ、ありがとうございます。わざわざ」  真っ赤な顔になって答える雪白さん。 「あー、余計な世話かもしんないけど本当にきついことがあったら言えよ。何とかするからさ」 「そうだね、正直最近のうちのクラスの一部の女子の行動は目に余るから」  言って葵はさっきまで雪白さんがいた席の方を見る。彼女達も何事かとこっちを見ていた。 「まー、なんかあったら気がねなくいってくれや。じゃ、雪白さん。そういうことで」  言って俺は背を向ける。 「あ、あの!」  雪白さんがそれを呼びとめた。 「あの、本当に有難うございました。私、凄く嬉しかったです。あの、凄い勝手なお願いがある んですけどいいでしょうか?」 「ん? 何? いってみてよ」 「あの、信也君と葵君って読んでもいいですか?その、麻美ちゃんのことも名前で呼んでて、今 私名前で呼べる友達なんていなくて、それで……」  最後の方はまさに消え入りそうな声だった。自分には友達がいない。そう人に告げることがど れだけ辛いか俺には正直わからない。その点はさっきから茶化しまくりの葵に感謝するしかない が。 「そんなのおやすいご用さ。俺達もそうしてくれた方が親近感感じて嬉しいし。な、葵」 「そうだね、それじゃ僕らはなんて呼ぼうか?」 「うーん。このはちゃん、は恥ずかしいしこのはさんだと先輩みたいだし……、さすがに名前を 呼び捨ては」 「難しいね、男の君にうまくあたるのが女性の場合ないからね。それじゃ雪白さん、僕は雪白さ んのまんまで」 「そうだな、じゃあ俺も……」  途端俺の脳に直接、やたらと悲しい感情が流れてくる。知らないうちに彼女のことをしりたい とでも思っていてその反動で彼女の意志が俺に伝わったのかもしれない。人の感情が勝手に入っ て来る。これも案外良く起こることだった。彼女は悲しさなんて微塵も感じさせない嬉しそう表 情をしている、仮面をかぶってはいるけれど。 「いや、じゃー、俺は呼び捨てにさせてもらうかな。それじゃこのは、宜しく頼むぜ」  途端俺の脳に伝わる感情も喜びに変わる。 「はい! 宜しくお願いします」  言ってこのはは満面の笑みを浮かべた。 「はあ、やるねー信也」 「うっさいな。ほれ、授業始まるぞ。次物理だから移動教室だろ? 後5分しかねえしとっとと 行こうぜ」  見れば教室にいる人間は半分くらいに減っていた。 「そうだね、よし行こうか信也」  俺と葵は自分の机から物理の道具1式を出して廊下に出る。  と、ふと頭に悲しげな感情が流れた。  後ろを振り返ればこのはが1人で立っている。  いつも、こうだったんだな。 「おい、このは! 何やってんだ? おいてくぞ。早く来いよ」 「……」  ポカンと、何を言われたのかわからない表情をする。その後。 「はい!」  満面の笑顔で駆け寄ってきた。  本当は笑顔が良く似合うのかもしれない。 「きりーつ、きおつけ!礼!」 「さようならー!」  途端、教室ががやがやと騒がしくなる。 「今日の授業も終わったな」  横の葵に声をかける。この席は俺が念じてこっそり変えたもの。正直今はこの葵の存在がかな り支えになっている。 「さ、それじゃクレープお願いね、信也! いや、悪いねー。お昼までご馳走になっちゃったの に」 「ああ、それじゃかなえちゃんを迎えに行くか。確か1-5だったよな?」 「うん。それじゃ行きますか」  別に金の心配なんてこれっぽっちもないしなー。良し。 「おーい、このは。駅前にできたクレープ屋があるんだけど一緒にいかないか? 今日は俺の奢 りだからさ」  少し遠くの廊下側にいるこのはに声をかける。 「え、いいんですか?」 「あー、こういうのは多いにこしたことないしな」 「多いにこしたことないって、今日全員に奢るんだよ? 信也。お金大丈夫なの?」  いぶかしんで葵が聞いてくる。確かにこの能力を持つ前は年中金欠を叫んでいた俺だけにこの 変化は葵からすればかなり不気味だろう。 「心配無用だ。先日宝クジがあたってな。当面金には困らない」  これからも何の理由もなく金があるのも変なのでそんなウソをついておく。 「へえー、凄いね! いくらあたったの?」 「そんなことはいいだろう。ほら、かなえちゃんが待ってる。早く行こう」 「かなえちゃんって、麻美ちゃんの妹さんですか?」  今まで黙っていたこのはが聞いてきた。 「ああ、知ってるのか?」 「いえ、面識はありません。ただ麻美ちゃんにそう言う名前の妹がいるって聞いてて、信也君と 葵君の麻美ちゃんとの仲の良さを考えると妹さんとも面識があってもおかしくないかなって」 「そっか。麻美に似て少しうるさいけどいいこだよ」 「誰がうるさいんですか? せ・ん・ぱ・い?」 「うわああああああああ!!」  いきなりかなえちゃんに後ろから声をかけられて俺は大声をあげる。 「い、いや別に。お、おい葵! お前何1人で笑ってるんだ!」  見れば葵が1人大笑いしている。この野郎、気付いてて知らせなかったな。 「まー、いいや。今日は先輩の財布全部食べ尽くしてあげますから覚悟して下さい」 「ははは。お手柔らかに頼むよ」 「あー、かなえちゃん。こちら雪白このはさん。麻美の友達」  葵がかなえちゃんに説明する。 「あ、神崎かなえです。よろしくお願いします」 「雪白このはです。こちらこそよろしくお願いします」  お互い簡単な挨拶をする。 「それじゃメンツもそろったし行くか。今日は俺の奢りだから好きなだけ食ってくれ」  言って俺は歩き出した。 「しかし、ここは人が多いな」 「駅前なんだから当たり前ですよ。先輩あまりこないんですか?」 「昔は良くゲーセンとか行ったけど最近はいかないね。かなえちゃんは良く来るの?」 「ええ、クラスの友達とかと結構。色々可愛い小物とかもあるし。雪白さんも良くきますよね?」 「え、えーと、ごめんなさい。私はあんまり」  かなえちゃんはこのはのことを知らないからな。本人にその気は全くなくても友達のいないこ のはに今の一言はショックだろう。 「それじゃ、俺と一緒だな。ま、これからはちょくちょく来ようぜ?」  途端このはの表情がほころんだ。 「はい、是非」 「それより、先輩。雪白さんとは随分前からお知りあいなんですか?」 「いや、今日知り合ったばかりだけど……、どうかした?」  かなえちゃんはうーん、と唸って。 「いや、随分と砕けた口調でしゃべってるなって。私としゃべる時とは違う」  少しかなえちゃんは寂しそうな顔をする。 「あー、そうかな。うーん。かなえちゃんはやっぱ後輩だしね。少し違うかもしれないけどそん なに気にしないでよ」 「うん……」  まずい、会話が止まってしまった。  俺は葵の方をふっと向くと、分かったよという視線がかえってくる。 「いやでもかなえちゃんだけだよ? 信也がこんな丁寧に話すの。そういう意味じゃかなえちゃ んの方が特別だと思うけど」 「うーん、そうかなあ」 「そうだよ。信也ったら誰に対しても偉そうに話すから……」  ゴン  葵の頭を軽く殴る。 「いったああ! 何するんだよ」 「何、お前との友情を再確認しただけだ」 「今ののどこをどう見ればそうなるんだよ」  クスクスとこのはが、あははとかなえちゃんが笑う。  俺は葵の耳に口を寄せて 「悪い、助かった」  と小声で言う。  葵はただ笑顔で返した。 「着いたよ。うわ! 凄い人だね」 「確かに……」  目の前の店は開店記念半額セールとか書いてあってかなりの長蛇の列をつくりだしている。 「しょうがない。みんなで並ぶか」  念じてクレープを手にするのはたやすいけれど今は無駄にこの列に並んでみたかった。 「何にしよっかなあ」 「別にいくつ食べてもいいよ」 「え? いくつもっていくつも食べられるんですか?」  このはが驚きの声をあげる。 「それはどう言う意味?」  葵が意味をつかみかずねてこのはに尋ねる。正直俺も良く言ってる意味がわからない。 「え、二つも食べられるんですか?ひとつでお腹いっぱいになっちゃうと思うんですけど……」  あーそういうことか。 「このはは小食なんだな。男なら三つはいける」 「え、僕は二つが限度かな」 「お前は半分女みたいなもんだ」 「うわ! それちょっとショック……」 「あー、悪い悪い! ほらもう順番きたぜ、何にする?」 「じゃあ僕はツナポテトとチョコバナナ」 「わ、私もチョコバナナを」 「俺はハンバーグとコーヒーゼリー」 「何だよ、信也三つたべるんじゃなかったの?」 「うるさいな。それは限度の話だ。夕飯食えなくなるだろ? かなえちゃんは?」 「チョコバナナ……」 「え、1つでいいの?」 「いい」 「本当に?」 「いいったらいいの。私だって、女の子だもん」  最後の方は消え入るような声だった。そうか。全くバカだな、俺って奴は。 「すいません。最後にツナポテト追加で」 「やっぱり三個食べるの? 信也」 「あー、ま、な」  そして待つことしばし。系7個のクレープが手渡される。 「あそこのテーブルに座ろうか」 「良く空いてたね、これだけ人がいながら」 「大抵の人は食いながら歩くんだろ、はいツナにバナナ」 「ごちそうさまです」 「はい、このは」  言ってチョコバナナをわたす。 「ありがとうございます」 「はい、かなえちゃんも」 「うん……」  やっぱり少ししずんだ声。結局食べてる間もかなえちゃんはあまり話さなかった。  そして俺はハンバーグとコーヒーゼリーを食べ終える。そして……。 「あー、お腹いっぱいになってきたな。三つも買わなきゃ良かった」 「ほら、いわんこっちゃない」  葵があきれたようにいう。 「かなえちゃん。食べてくれない?」 「え?」 「いや、このはは体も小さいし、きっと女の子の中でも小食なほうなんだよ。ほら麻美だって結 構良く食べてたし。かなえちゃんまだ食べられるでしょう?」 「う、うん……、でも」 「じゃあこれは捨てちゃうかな、もったいない」 「え、ええっと、じゃあ半分だけ」 「半分か。結構難しいな」 「先輩かじっちゃって下さい。私その後食べますから」 「え、いいの? そんな食いかけみたいなので」 「いいんです。信也さんのなら。1つは食べきれないし」  絶対ウソだと思うけどそれがまた可愛くて俺はツナポテトに思いきりかぶりつく。 「はい、それじゃ半分」  いってまだ7割方残るツナポテトをわたす。 「ありがとう! 信也さん」  本当に嬉しそうにかなえちゃんはツナポテトを食べる。かなえちゃんも女の子なんだな。麻美 はこういうの全く気にしなかったし。姉妹で似てるって言ってもやっぱり違うか。 「さて、それじゃどっか行くか?」 「うーんそうだねえ、それじゃ……」  いいかけて急に葵の表情が険しくなる。 「おい、どうした?」 「う、ううん。ごめん。ちょっと急用ができちゃった。僕帰るね。信也、ごちそうさま!」  言って葵は走り出す。 「なんなんだ、あいつ? それじゃどうしよっか?」 「すいません。私も急用思い出しちゃって。信也君、クレープご馳走様。明日また学校で」  そんなことを言ってこのはも駆け出す。なんなんだ一体? 「二人になっちゃっいましたね」 「そうだね」  かなえちゃんと顔を見合わせる。 「先輩、私も今日は帰ります。クレープご馳走様でした」 「ああ、そう? 送ろうか?」 「いえ、いいです。実はわたしも用を思い出しまして」  言ってかなえちゃんは下を向く。  それが照れ隠しなのか、真実なのかはわからない。 「本当に、クレープおいしかったです。特にニ個目の。先輩優しいんですね」 「え、いや」  ばっとかなえちゃんは顔をあげて。 「それじゃ! また明日です! 先輩!」  そう言って駆け出していってしまった。  今日は―――久しぶりに笑った。  久しぶりに楽しかった。新しい友人もできた。  ふっとリビングに飾られている麻美の写真を見る。  もう、いいか。  俺はその写真を手にとる。 「本当にすまなかった麻美。でも、このままじゃ俺は前に進めない。お前は俺のことを今憎んで るかもしれないけれど、俺は―――俺はお前を愛していた。きっとお前をいきかえらせる方法を 探してみせる。何、心配ない。俺みたいに生きかえらせる以外は何でも出来る化け物が実際いる んだ。死人を生きかえらせられる奴も、きっといるさ。―――それじゃ、麻美。それまでさよな ら。それと、すまない。本当に楽しい時を有難う」  1人リビングでつぶやいて写真の麻美にそっと口付けをして、俺はそっと写真立てを倒した。  もう、俺は人形を創らない。そう、少なくとも麻美の人形は。 「それでも、人形を創らないと広いもんだな……この家も」  急に家の中が寂しく感じられた。それでも、まだ家族を呼び戻して普通に振舞える自信はなかっ たし、力を隠すのも面倒だ。  ふむ……死んだ麻美の変わりとしての人形しか今まで作ってこなかったけど、少なくとも俺は 新しい命は作れるんだ。例えそれが意志のない、俺が思ったようにだけ動く人形でも。暫くは、 そんな人形に頼ってみるか。自分で『飯』って念じて飯を出すのにも正直いい加減味気なさを感 じていたし。よし。家事を任せられる娘がいいな。可愛くて料理も出来て掃除も出来れば文句な い。黒髪で少し背は高めにするか。うちの食器棚結構高いし。 ―俺の寂しさをまぎらわせてくれる少女を―  頭にイメージを浮かべながらそう念じる。  すると、ふっと俺の目の前にメイド服を着た少女が現れる。  ―――って、何でメイド服なんだ?  昔麻美の家で見たお手伝いさんの印象が強かったか? 「はじめまして、信也様。私をお創り下さいまして有難うございます」 「あ、ああ」  正直ここまで上手く出来るとは思わなかった。目の前の少女はまるで自分の意志で動いている よう。―――けれど ―彼女の意志を―  と念じても、全く何も返ってはこない。結局残念ながら、彼女も俺の『寂しさを紛らわす』と いう意志にしたがっているだけの人形にすぎない。どんな人間でもそいつの心を覗こうと思えば 必ず意志が返ってくる。だから彼女が笑ったり、怒ったりしてもそれは決して彼女の意志ではな く、そうすることが俺の寂しさを紛らわすのに最適な行動であるにすぎない。だから多分、俺が 彼女のことを邪魔だと思うようになれば、彼女は自然と闇に消えてしまうだろう。 「信也様、お腹おすきになられましたよね? すぐ作りますから。あれ、冷蔵庫の中空っぽ」 「ああ、それなら」 ―材料を冷蔵庫に……― 「すいません、すぐ買ってきますね。少しだけお待ち下さい。あ、申し訳ないのですがお金の方 頂けますか? 生まれたてで無一文なものでして」  言って決まりが悪そうに苦笑する。  彼女は本当の人間みたいに可愛くて……。 「ああ、はい金」  折角そういってくれるのにこの力で冷蔵庫をあふれさせるのもバカらしくなって、財布を渡す。 「はい、それではすぐに帰ってまいりますので」  バタン。彼女は家を出て行く。  そう、麻美の人形のような不快感は微塵も無くて。それはきっと、誰かの変わりでなく彼女は 彼女しかいないのであって。良くわからないけれど、俺はこの力を持ってからはじめて本当にこ の力があって良かったと思った。当然この力を持たなければ麻美は死んでいないし、そうであれ ば彼女なんて必要ないのだからとても矛盾しているけれど、それでも。本当に、嬉しかった。 「ただいまかえりました! いや、びっくりしました。十万円も入ってるんですから。いいお肉 買ってきちゃいました!」 「おかえり。それじゃすぐ作ってくれるかい?腹減っちゃった」 「はい。少しお待ち下さい」  言って彼女は台所でパタパタと動き始める。 「そういえばさ」 「はい、なんですか信也様?」  にんじんを切りながら彼女は尋ねる。 「名前をつけてなかったよな。何か自分でこれがいいって名前あるかい?」 「え!? 私にも名前を下さるんですか!? 嬉しいです。なんでもいいです。信也様のつけて くださる名前でしたらどんなものでも大喜びです!」 「へえ、じゃあ三郎とかでもいいのかい?」  言うとピタっと三郎の動きが止まる。 「そ、それはちょっと…。もう! 信也様のいじわる!」 「冗談だよ冗談。俺もそんな名前を毎日呼ぶのいやだし。うーん、そうだな。今日は見事な五月 晴れだったからな。五月生まれで皐月ってのはどうだ?」 「へぇ、いい名前ですね。嬉しいです。五月ですね。でも五月(ごがつ)って読まれちゃうかも……」 「違うよ、五月じゃなくて、皐月」 「え、どんな漢字ですか?」 「うーん。よし、ちょっと待ってな」  ―皐月の文字を皐月の頭に―  そう念じる。 「ああ! これで皐月って読むんですね? うん。信也様、素敵な名前をありがとうございます」 「いや、安易な理由でつけて悪い。それじゃ飯つくってくれるか?」  言うと皐月はちょっとムっとして。 「どうした?」 「折角つけていただいたんだから、信也様に呼んで欲しいなあって……」  …。 「はっはっは! 可愛い奴だな、本当。それじゃあ飯作ってくれるか? 皐月」 「はい! お任せ下さい」  満面の笑顔で皐月は料理を再開した。 「信也様、出来ましたよ」  俺はリビングのテーブルでいつのまにか眠ってしまっていたのか、そんな声に目を覚ました。 「信也様、折角ですから出来立てを食べてくださいな」  見ると目の前には豪華、というよりもお袋の料理を思い出させるような家庭的な料理がならん でいた。 「ああ、悪い。寝てた」 「はい、それじゃあごはんついでもいいですか?」 「ああ、頼む」  皐月がごはんをよそってきてくれる。 「じゃ、いただきます」 「はい、どうぞ」  俺は目の前の料理にかぶりついていく。最近食べた中では最高の味。俺が『上手い料理を』と 念じるだけでは得られない暖かい手で作られた料理。 「いかがですか?」  さつきが尋ねる。 「美味い」  とだけ言って俺は食事を続ける。皐月は笑う。幸せな食卓。  ―――しかし。 「おい皐月、お前はどうしてたってるんだ?」 「いえ、私はメイドですから、後で食べますので」 「そこに立たれても落ちつかない。それに1人の食事も味気ない。せっかく美味いのに1人で食 べたら味が半減だ」 「そ、そうですか?」 「いいから一緒に食え。これは命令だ」  俺は芝居がかった声でそう言う。皐月はクスクスと笑い。 「それじゃあ、ご一緒させていただきますね」  といって自分のごはんをよそって、もう1人分のおかずを持ってくる。 「それでいい」 「それでは失礼して」  言って皐月も食べ始める。  楽しい食事が続く。本当に久しぶり。しかし、俺の楽しい食事の破局は唐突に訪れた。 「グッ、これはまさか」 「どうしました?」  ぐ、グリンピース。中に入っていただけなのできづかなかったが、グリンピースが入っている。 「さ、皐月。俺これだけは苦手なんだ、悪いな……」  言って俺がグリンピースをよけると、じっ、っと皐月が恨めしそうにみてきた。うっ……。 「まあ、信也様は私のご主人様ですから文句はいえませんけど、へぇ……、そうですか。そうい うことしますか」  ぐぬ。明かに怒ってる。 「う、わかった、わかったよ。食べる、食べますよ!」  言って俺は横に避けたグリンピースをいっきに口に放りこむ。うっ……、やっぱりまずい。  やっとのことで水で腹に流しこむ。 「良く出来ました! やれば出来るじゃないですか!」  言って笑顔を浮かべる皐月。  ふっと、この料理に俺の嫌いなものが入ってるのも、ジト目で俺を見たのも、今笑ってるのも、 俺の寂しさを紛らわす、という皐月の存在理由が生み出したものだと思ってしまう。俺は自分で 作った話す人形を相手に、怒って、笑っているだけだ……。なんて惨めなんだろうか。 「信也、様……?」  皐月が心配そうにこっちを見てくる。そう、この顔すらも全ては。  ポロッ  途端目の前の瞳から雫がこぼれた。 「信也様? 私のことで悩まれてらっしゃるのですか? 私なんか消えたほうがよいのですか?」  ふっと、皐月の体が半透明になったかのような錯覚を覚えた。 「信也様」  目の前には涙を流しつづける少女。  ……。  全く、俺は一体何を悩んでいるんだ? いいじゃないか。今の、恋人をこの手にかけた俺が惨 めじゃなければなんだ! いいじゃないか。例えどんな理由でも、自分でしくんだものだとして も。事実彼女は笑い、泣いているのだから。  そっ、と皐月の頬に触れた。―――暖かい。 「ごめん、皐月。なんでも無いんだ。そう! あまりにもグリンピースが不味くて言葉を失って たんだ。やっぱりこれからは出切る限りグリンピースだけは料理にいれないように頼むよ」 「信也様」 「消えたほうがいいかだって? 冗談じゃない。明日から弁当含めて三食作ってもらわなきゃい けないんだ。消えられたりしたら困る」 「信也様!」 「ほら、食事を続けよう。あ、おかわり貰える? 腹減っちゃってさ」 「はい!」  皐月はごはんをよそいにいく。  そうだ、いいじゃないか。皐月が人形だろうとなんだろうと。今この家の同居人は、彼女だけ なんだから。 「はい、どうぞ信也様。まだまだありますからいくらでも食べて下さいね」  それに気をつけなくてはいけない。俺が皐月の存在に疑問を感じれば、皐月は本当に消えてし まう。皐月は皐月だけだ! 仮に1度消してしまって、もう一度消えた皐月を作ろうとしてもそ れは麻美の人形を作ったのと同じ気持ちになるだろう。 「おいしいですか?」  皐月が尋ねる。 「ああ、美味い」  ああ、忘れていた。難しいことなんてなにもない。  だって、この暖かい飯は、こんなにも美味いのだから。 「信也様、お休みになられるのですか?」 「ああ、今日はもう寝るよ」  別に今の俺には睡眠なんて必要ない。『体が休まれ』と念じれば何千時間もぶっ通しで起きて いられるだろうが、別にこれといってやりたいこともない俺にはそんなのは暇な時間が増えるだ けだけ。それに俺は単純に眠るのが好きだった。 「それでは失礼します……」  そう言うと皐月は頬を赤らめて服を脱ぎ出す。  !? 「何やってる!?」 「いえ、何と申されましても。夜のお相手を……」  そうか、そういえば昨日までは人形の麻美を毎日抱いてたんだ。しかし、皐月は人形なんかじゃ ない。こっちが恥ずかしくなってしまうし、皐月はもう俺にとっても特別な存在だ。 「いや、そんなことはいい。畳の部屋を使っていいからそこで寝ろ」 「え、でも」  参ったな。確かに心のどこかで皐月を抱きたい部分はある。何しろこんなに可愛い娘だ。でも 皐月を今までの人形と同じようになんて扱いたくない。 「いいから! それじゃ明日7時におこしてくれ」 「はい、わかりました。それではおやすみなさいませ」  言って少し寂しそうに皐月は俺の部屋から出て行く。  やっぱりもったいなかったか……。  そんな風に頭のどこかで思いながら、俺は眠りについた。 ―痛い― ―痛いよ―  真っ暗な闇の中で女の子が1人泣いている。 ―痛い、痛いよぉ―  その子があんまり痛そうで、本当に辛そうに泣くから、 ―一体どうしたの? 何がそんなに痛いの?―  俺は話しかけてみた。 ―お兄ちゃん、誰?― ―俺? ああ、お兄ちゃんはね、坂口信也、っていうんだ。ねえ、一体どうしたの?― ―あのね、痛いの。私のことをいじめるの。その子達は私の体をいじめるの― ―そうか、そりゃあひどい奴だな― ―うん酷い奴― ―そうか、そいつはどこにいるんだい?― ―私の体の中……― ―それじゃあ病気か何かかい?― ―良く、わからない― ―そっか、わかんないか― ―うん―――イタッ! お兄ちゃん、痛いよー― ―大丈夫かい? ああ、どうしよう― ―お兄ちゃん、私のこと助けてくれる?― ―うん……、お兄ちゃんに君を助けてあげられる力があれば助けてあげたいんだけど― ―それじゃあ、もしお兄ちゃんに私を助けてくれる力があったら助けてくれる?― ―ああ、もちろんさ。お兄ちゃんが君をいじめる酷い奴をやっつけてあげる― ―本当……?― ―本当さ!― ―本当!? それじゃあ力をあげる! だからこの力で私を助けてね―



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