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〜過ち〜


 毎日の報告会の折り、彼女はいつものように黒桐についての話をはじめた。
 けれど……、その姿はいつも何故か痛々しい。
「鮮花ちゃんは本当に黒桐のことが好きなんだね」
「当然です。私は、そのために一度幹也から離れ、兄妹としての遠慮がなくなるように……」
「そこだよ……」
 そう、そこなのだ。決定的に彼女が間違えているのは。
「そこ?」
「そう。黒桐から一度離れたってところ。鮮花ちゃん。君はそこで徹底的な間違いをしたんだ。決
して選ぶべきでない道を選んだんだ」
「どういうことですか!?」
 一歩詰め寄る鮮花ちゃん。彼女は、俺が何を言いたいかを分かっていない。
「本当に黒桐が好きなら。その頃からずっと好きだったなら、「離れる」という選択肢は絶対にと
るべきではなかった。兄と妹の枷なんて、何をしても結局はずれはしない。事実黒桐は、君を今妹
としてしか見ていない。実際にね。それは必ずしも式ちゃんがいたから、というわけじゃない。あ
いつはそういう性格なんだ。妹は妹としてしか見れないんだよ」
「そんなこと……、そんなこと分かっています! けれど―――いえだからこそ。私はあの時幹也
のもとから離れる必要があった。きっと、私を妹として見なくなる。そう願って」
「そんなことはね、後でどうにでもなるんだよ。それにね、そうならなかったらそうならなくても
良かったんだ」
「どこがいいって言うんですか!?」
「鮮花ちゃん。君は子供の頃、何も考えずに笑うことが出来たかい?」
「笑う……?」
 それは、遠野と昔話したことだった。
「黒桐のことが好きだったら、ずっと一緒にいれば良かったんだ。そうして、一緒にいる時間だけ
でも、笑っていれば良かったんだ。鮮花ちゃんが、一番黒桐のことを好きであれば良かったんだ。
笑っていれば良かったんだ。その何物にも代え難い時間を、子供が無邪気に笑える時間を、君は自
ら放棄したんだ」
「乾さんは、私の人生そのものを否定するっていうんですか?」
「そうは言わないけどね。でもさ、鮮花ちゃん今迷ってるでしょ」
「私が何を迷うっていうんですか?」
「もう絶対に黒桐は君のことを女性として愛しはしない。黒桐と式ちゃんの関係は進んでいくだろ
う。そうわかっていて、君だけが止まっている」
「やめてください」
「君自身が思っているんだ。今までの自分の人生が無駄だったのかもしれないと」
「やめてください!」
「君は、誰かにそう言って欲しかったんじゃないか?」
「やめて!!」
 その場で鮮花ちゃんが泣き崩れる。
 俺は卑怯だろうか。好きな女を落とすために、その女の傷口に触れる。
 けれどこのままでいいとは思わない。
 誰かが言わなければ、彼女はずっと止まったままだ。
 黒桐はきっといわない。いや、きっとあいつにこんな役はできないんだ。
 あの優しすぎる男には。
 だから、これは俺の仕事だ。
 彼女の時間を進めるために。
「今からでも、遅くない」
「え……?」
 涙をこぼしながら、鮮花ちゃんは顔をあげた。
「さっきも言ったけれど、自分がそいつのことを思っていりゃそれでいいんだ。遠野にもね、おと
としの今ごろ、いい人ができたんだ。それで俺はあいつの一番じゃなくなった。けど俺にそんな奴
はあらわれなかったから、あいつは俺の一番だった」
 アルクェイドさん本人からはじめてそのことを聞いた時は、むしろおれは嬉しかった。あいつに
彼女というものができたことを、俺は純粋に喜べたと思う。
「そりゃ、男と女って違いはあるかもしれないけどね。俺は、必ずしも愛情が友情より高位のもの
だとは思ってねえし。俺らはその後もうまくやってたよ。それまでと変わらずにね」
 そう、変わらなかった。その関係が変わってしまったのは、ただ一重に俺があいつを拒絶したか
ら……。
「鮮花ちゃんは、女の子だからそういう考えはできないのかもしれないけど。一番大事な人が、必
ずしも愛する人である必要はないんだ。ヘタに君が黒桐を思いつづけ、君も黒桐も笑えないより、
感情に折り合いをつけてお互い笑えたほうがいいと思う」
「それは、正論かもしれませんが、感情は理論じゃ縛れませんよ……。それに、私が幹也のことを
思っているのに他の男性と付き合うだなんて、失礼じゃないですか」
「全然失礼じゃないさ」
「普通の人は、イヤだと思いますよ。それに、他に魅力のある人なんて思い浮かびませんし」
「俺はいやがらないぜ?」
「え?」
 鮮花ちゃんがようやく顔をあげてくれる。
「俺だって、今は遠野が一番気になってるんだ。鮮花ちゃんは黒桐が一番だろう? なんだ、案外
うまくいきそうじゃないか」
「駄目ですよ」
 いつのまにか泣き止んでいた彼女は、立って俺に背を向けて歩き出す。
「何でだい?」
「乾さんじゃ、役不足だからです」
 そういって振りかえった彼女の顔には、今まで見たことがないほど朗らかな笑みが浮かんでいた。
「そいつは手厳しいな」
 鮮花ちゃんを見送って、俺は煙草に火をつけた。
 煙が天井へ向かってのびていく。
「さて、彼女に火がついたかどうか……」
 たかだか1時間ぶりの煙草は、さっきよりもやけに美味い気がした。


《《『空の月』鮮花ストーリーより抜粋》》


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