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〜死の際に〜


 昨日のように中庭のベンチで横に座る。
 俺はいつものように唐突に、彼女に一つの問いを投げかけた。
「なあ、もし藤乃ちゃんが今死ぬって時になったら君は何をする? 何を思う?」
 それはずっと前からの疑問だった。
 彼女は『普通ではない』。そう、俺や遠野のように何かしら死にたいして特別なものを持って
いると思っていた。それは、俺がずっと聞きたかったことだった。
「死ぬ時になったら…、ですか?」
 長い横髪を押さえながら、彼女はこちらを向いてそう言った。
「そう。今もう自分は死ぬんだ、って時になったら藤乃ちゃんは何を思うのかな、って思ってね」
「不思議なこと、聞くんですね」
「まあね。俺の探してる奴は、そこで『ありがとう』って言うって言ったんだ。全く、おめでた
い奴だろ? 死の際にありがとうだぜ? 普通のやつはとてもそこまでいきつかねえと俺は思う」
「そうですね……。私も、そう思います」
 言って藤乃ちゃんは眼を伏せた。
「私は、色んな人に迷惑をかけました。中には、とりかえしのつかないことも沢山あります……」
 なんとなく思った。それは彼女の過去に関係しているのだろうと。
「俺もそうさ。すげえ、多くの人に迷惑かけた。きっと、これからだってかけると思う」
「それなのに、私は思ったんです……。『死にたくない』と。まだいきていたいと。私が他の多
くの人の人生を壊しておいて、私はそんなことを思ったんです!!」
 『思った』。それが、きっと実際藤乃ちゃんがそういう場面にあったことの証拠。俺は、そこ
まで詳しく聞いたわけじゃない。ただ、昔何かあったというのを知っているだけだ。けれど、そ
れがずっと彼女のことを縛り付けているんだと思う。
「なんだ、君は普通の人間、普通の女の娘じゃないか」
 そうわかっていたけれど、俺の口からはそう思ったことが素直にでてしまっていた。
「え……?」
 呆けた声をあげて、藤乃ちゃんは俺を見た。
「それが普通さ。人間、誰だって死にたくなんてないんだ。自分が他の人間にどれだけ迷惑かけ
ていようと、自分は生きたいと思う。それで普通なんだ」
「私が、普通?」
「ああ。俺はね、迷惑ばかりかけて生きてきたから、死ぬときは謝るつもりなんだ。すまない、
ごめんなさい、ってね。さっきの『ありがとう』にしてもそうだけど、これってどこかしらで死
をうけいれてるってことだろ? こんなのはね、特殊なのさ。普通は死にたくないと思うんだ」
 そう、俺は藤乃ちゃんもそうだと思っていた。あの、まるでここにいないかのような空虚感。
彼女は、何か普通でない。そして、きっと自分の死を待っている。まるでそんなように見えてし
まった。けれど、そうではなかった。彼女は、普通の女の娘なんだ。
「私は、無痛性です」
「そんなのは、関係ないさ」
「私は、きっと感情というものが希薄なんです」
「それなら、どうして死にそうなとき、死にたくないって思ったんだい?」
「私は、人殺しなんです!!」
「それがどうした? 世間一般の常識なんぞ、俺からすればクソくらえだ」
「私は、普通じゃない」
「君は、普通の女の娘だ」
「ウウッ……」
「だから、泣きたいときは泣いていいんだよ?」
「うわああああああああああ」
 俺の胸から、美しい黒髪がなびく。
 誰も言わなかったのだろう。
 きっと、彼女はどこでも特別視されていたのだろう。
 痛覚があるかないか、そんな問題じゃない。
 そこで悩んでいるその彼女の心が、普通の女の娘のものだと……。
 そうただ告げてあげれば良かったんだ、誰かが。


《《『空の月』藤乃ストーリーより抜粋》》


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